上田綺世(うえだ あやせ)は、
オランダのフェイエノールトに
所属するFWです。
2025ー2026シーズンの上田綺世選手は、
オランダ1部リーグ・エールデで活躍し、
リーグ戦29試合で25ゴール1アシスト
という活躍を見せています。
このまま行けば、得点王に
なるのは間違いないですね。
また、来シーズンどこに移籍するのかも
楽しみではないでしょうか。
北中米ワールドカップが
2026年6月11日から開幕し、
サッカー日本代表メンバーが
注目されていますが、
上田綺世選手の父親・母親は
どんな人物なのでしょうか。
そこで今回は、上田綺世選手の父親・
母親・兄弟、小学校、中学校、高校、
大学について紹介します。
上田綺世の父親もサッカー経験者?憧れの存在
上田綺世選手の父親は、
上田晃(うえだ あきら)さんという
名前であることが分かっています。
父・晃さんもサッカー経験者で、
元西ドイツ代表の
ユルゲン・クリンスマンに憧れていました。
ドイツのレジェンド選手の1人で、
背番号18にこだわっていた
ことでも知られていますね。
そのため、父・晃さんも
背番号18を背負い社会人チームで
FWとしてプレーし、
上田綺世選手が小学校1年生の時に
ハットトリック(3ゴール)を
奪う活躍を見せました。
そして、父・晃さんの活躍で
チームも活躍し、上田綺世選手は
サッカーをしたいと思ったと語っています。
今の上田綺世選手がいるのは、
父・晃さんの存在が
かなり大きかったのではないでしょうか。
上田綺世の母親はどんな人?料理上手
2026年4月現在、上田綺世選手の
母親の名前や職業については、
公表されていません。
ただ、上田綺世選手は両親と仲が良く、
実家に帰省することが多いとされています。
また、上田綺世選手の母親は、
試合を見に来ることもあるので、
かなり親子仲は良いのではないでしょうか。
そんな上田綺世選手の母親は、
料理上手であるそうで、
メンチカツが絶品だと言われています。
上田綺世選手は、母親が作る
メンチカツが好物であるようで、
1人で3人前も食べてしまうほどです。
よほど母親が作るメンチカツが
美味しいのかもしれないですね。
もしかしたら、父・晃さんが
サッカーに関する専門的なことを指導し、
母親が食事面などから
サポートしていたのではないでしょうか。
上田綺世に兄弟はいる?どんな人?
上田綺世選手には、お姉さんが
1人いることが分かっています。
ただ、上田綺世選手の姉は、
一般の方なので、年齢や職業、
顔といったことは公表されていません。
上田綺世選手はイケメンなので、
お姉さんのも顔立ちも
整っているのではないでしょうか。
また、上田綺世選手の姉がサッカーを
やっていたという情報はないので、
違う道に進んだのかもしれないですね。
上田綺世の小学校・中学校は?鹿島アントラーズ育ち
上田綺世選手は、
水戸市立酒門小学校に通い、
吉田ヶ丘サッカースポーツ少年団
というサッカーチームに所属していました。
サッカーを始めたばかりの
上田綺世選手は、面白くないと
感じていたそうで、
週に1回しかない練習が
雨などで中止になればいいと
願っていたと明かしています。
現在の上田綺世選手の姿からは、
想像がつかないエピソードですね。
しかし、練習試合でゴールを決め、
その時の快感を味わいたいと思い始め、
サッカーに打ち込むようになりました。
そして、小学4年生から
上田綺世選手は、スクールに通うになり、
着実に成長していきます。
中学生となった上田綺世選手は、
鹿島アントラーズの育成組織に
所属するようになりました。
Jクラブのアカデミーに所属していたので、
才能があったことに間違いは
ないかと思われます。
しかし、中学時代の上田綺世選手は、
身長が170㎝未満と小柄だったため
ユースに昇格することができませんでした。
上田綺世の高校はどこ?挫折を味わう
体格が未熟だったことから
ユース昇格を逃した
上田綺世選手ですが、
鹿島学園高等学校に
入学するまでも苦労していました。
当初、上田綺世選手は、
県外の強豪校に進学しようと
考えていましたが、
セレクションにことごとく
落ちてしまっています。
レベルが上がるにつれ、
体格の差というも大きくなってくるので、
仕方がなかったのかもしれません。
そんな状況の上田綺世選手を、
いち早く迎え入れたのが
鹿島学園高等学校でした。
ただ、鹿島学園高等学校も
県内の強豪校なので部員数が多く、
6つあるチームの中で上田綺世選手は、
下位3つのチームを行き来するような
状況だったことを明かしています。
当時の上田綺世選手は、
ワントップでプレーできるほどの
体格ではなかったので、
サイドハーフでプレーし、
プレーの幅を広げていきました。
また、上田綺世選手は上に上がるために、
チームを観察・分析するようになり、
高校3年生になってから
試合に出れるようになりました。
地道な努力があったからこそ、
試合に出れるようになった
のではないでしょうか。
そして、身長が伸びた上田綺世選手は、
FWとして勝負できるようになり、
第95回高校サッカー選手権大会に
出場して2ゴールを挙げています。
上田綺世選手のキャリアの中でも、
全国の舞台で活躍できたのは
かなり大きかったのではないでしょうか。
上田綺世は大学に進学!?どこの学校?
鹿島学園高等を卒業した
上田綺世選手は、
関東大学リーグに所属している
法政大学に進学しました。
法政大学に進学した
上田綺世選手は、1年生から
レギュラーの座を掴みます。
法政大学も強豪校なので、
そこで1年生からレギュラーを
掴むのはかなりすごいことですね。
そして、大学2年生となった上田綺世選手は、
全日本大学サッカー選手権大会に出場し、
チームの優勝に大きく貢献しました。
また、上田綺世選手は、
世代別日本代表に選出されており、
U-21トゥーロン国際大会や
U-22アジア競技大会などに
出場していました。
上田綺世選手は、
法政大学に入学してから、
急成長しましたね。
これらの活躍が評価され、
上田綺世選手は複数の
Jクラブが争奪戦を繰り広げ、
最終的に2021年に
鹿島アントラーズに加入する
ことになります。
【#鹿島】
2021年度加入内定の法政大FW上田綺世選手の加入会見が行われました。東京五輪での活躍も期待されるストライカーは「地元を背負い、鹿島でプレーできることは幸せなことです」と笑顔。
特別指定選手に承認されており、今季の公式戦も出場可能です。#antlers pic.twitter.com/c0sn75y2gJ
— スポーツ報知 サッカー取材班 (@hochi_football) February 20, 2019
しかし、上田綺世選手は2019年7月23日、
法政大学サッカー部を
退部するという決断をします。
前倒しで鹿島アントラーズに
加入することを決断した理由を
記事で次のように語っています。
サッカー部を退部して、
さらに厳しい環境で自分を磨き上げる。そう決めたのは日本代表に初選出され、
コパ・アメリカの開催地である
ブラジルへ向かう1週間ほど前。フライト当日に、決意を告げるべく
法大サッカー部の監督室を訪ねた。大学入ったあと、
初めて選ばれた年代別の日本代表には
プロ選手もいた。「代表とプロにかかわるうちに、
その環境に一早く身を投げ出したい
という気持ちがありました。鹿島という素晴らしいクラブに
内定をもらえたので、そこでやりたいなという
気持ちがありました」と上田。最後の一押しが、
今年6月のフル代表への選出だった。「コパ(・アメリカ)の結果が
きっかけになったわけではなくて。大学生として選ばれたということが、
次のステップに進む
きっかけになったということです。コパに行く前に決断を伝えて、
監督やスタッフに(プロ入りへ)
動いていただきました」
上田綺世選手は、
法政大学時代にU-20日本代表に
選出されるほど成長しましたが、
高校までとは何が変わったのでしょうか。
そのことは、上田綺世選手と
法政大学の長山監督が
次のように記事で語っています。
高校時代の上田は、アタッカーながらも
守備やさまざまなタスクを
こなさねばならなかった。「大学では点を取ることに
専念できるようになりました。そこだけを考えて
アプローチできるようになったのが、
大学に入っての大きなポイントだと思うし、チームメイトがいてこそできた
成長だったのかなと思います」ストライカーに専念できるようになった
成果が、
2年生でのU-20日本代表入りだった。長山監督は
「代表に招集されるたびに成長し、
その自信が成長に拍車をかけた」と語り、「こんなにすごいスピードで
伸びていく選手もいるんだな」
と舌を巻いたという。さらに「大学サッカーの
すごくいいところでもあるんですけど、人としてもすごく成長しました」
と上田をたたえた。
2026年の北中米ワールドカップで、
サッカー日本代表が悲願のベスト8進出
という夢を叶えるためには、
上田綺世選手の活躍が
必要不可欠だと思われます。
また、ワールドカップで活躍すれば、
より強いチームに移籍することが
できるのではないでしょうか。

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