甲斐優斗の父親は?母親や兄弟は?彼女・結婚は?中学や高校は?大学は?フランス挑戦?

甲斐優斗(かいまさと)は、
日本代表に選ばれているバレーボール選手です。

私が初めて甲斐選手のプレーを見たのは、
2023年のワールドカップバレーです。

その時は、控え選手で
出場機会は少なかったですが、
若くて(20歳)、背の高い(2m)、
いきのいい選手がいるなという印象でした。

今回のネーションズリーグでは、
スタメン出場で大活躍ですね。

チーム最年少で、2mのアウトサイドヒッター。
ポテンシャルの塊といった感じです。

期待大ですね。

私は、将来的には1番期待しています。

なぜなら、今までの日本代表ですと
身長2m以上の選手は
ミドルブロッカーの印象です。

日本代表のアウトサイドヒッターは身長は、
海外選手に比べて低い傾向がありました。

実際に石川祐希選手は身長192cm。
高橋蘭選手は身長188cmです。

身長2mのアウトサイドヒッター。
海外選手と比べても引けを取らないで、
渡り合えそうで、わくわくします。

そんな甲斐選手ですが、
知らないことだらけですので、
この機会に色々と調べてみることにしました。

甲斐優斗の父親は?

甲斐選手の父親は甲斐晃宏(かいあきひろ)さんで、
9人制バレーボールの元実業団選手です。

私は、9人制バレーボールに関しては、
知識がないので、詳しく語れませんが、

競技人口が20万人もいて、
実業団がある位、結構盛んなスポーツなんですね。

別の機会にもっと9人制バレーボールの
深堀をしたいと思います。

また、父親の晃宏さんは、
延岡南バレーボールクラブの監督をしていました。

その影響で、甲斐選手は小学校2年生から
父親が監督のクラブで
バレーボールを始めたようですね。

父親である晃宏さんについて甲斐選手は、
「バレーの時はすごく厳しかったけど
家に帰るととても優しいお父さんでした。」

と語っています。

甲斐選手に、指導者として
バレーボールの基礎を教えた晃宏さんですが、

残念ながら、甲斐選手が高校2年生の時に、
48歳という若さで亡くなられています。
大腸がんだったとのことです。

晃宏さんは亡くなる前、
甲斐選手に「頑張れ!」
という言葉を残したそうで、

今でも試合の時はこの言葉を
噛み締めているそうです。

きっと甲斐選手の活躍を父親の晃宏さんも
喜んでいることでしょう。

甲斐優斗の母親や兄弟は?

甲斐選手の母親は、甲斐照美(かいてるみ)さんで、
バレーボール経験者だったようです。

何と、ママさんバレーボールで
日本一になっているんですね。

ママさんバレーの多くが9人制バレーですので、
両親ともに9人制バレーをやっていたんですね。

母親の照美さんは常に「頑張ってね」と
背中を押してくれる存在だったそうです。

甲斐選手は、
父親からはバレーボールクラブの指導者として、
厳しくもバレーボールの基礎を教わり、

母親からは、バレーボール経験者として
応援してくれる。

素晴らしい環境の元で、
成長していったのですね。

そして、甲斐選手には2つ上の兄がおり、
名前は甲斐孝太郎(かいこうたろう)さんです。

兄の孝太郎さんもバレーボール選手で、
2024年よりVリーグのサントリーサンバーズで
プレーをしています。

兄弟ともに、父親が監督をしていた
延岡南バレーボールクラブでバレーボールを始め、

同じ高校・大学で兄弟で切磋琢磨し、
成長してきたのですね。

お兄さんのこれからの活躍にも
期待したいですね。

要チェックです。

甲斐優斗の彼女・結婚は?

甲斐選手は、高身長で爽やかイケメンですので、
彼女がいそうだなと思って調べましたが、

彼女に関する情報はありませんでした。

全然いてもおかしくないですけどね。

日本代表に選ばれて有名になったので、
これから女性ファンは多くなるでしょう。

そのうち、彼女の情報が
出てくるかもしれませんね。

将来の結婚に関して、
何か話している情報もありませんでした。

甲斐選手は、まだ若いので、
結婚は当分先のことですかね?

見守りましょう。

甲斐優斗の中学や高校は?

甲斐選手の出身中学は、
宮崎県の延岡市立延岡南中学校で、
バレーボール部に所属しています。

中学校時代のバレーボールでの
目立った成績はありませんでした。

男女ともにバレーボール日本代表の
経歴を調べると、
中学の時には全国大会で優勝してたり、
活躍して有名になっている選手が多いのですが、

甲斐選手は、そうではなかったのですね。

高校は、お兄さんと同じ
宮崎県立日南振徳高校に進学しました。

高校進学の決め手は、
お兄さんがいたこともありますが、

日南振徳高校バレー部の鍋倉雄次郎監督が
父親である晃宏さんの恩師であったことが
進学を決めたきっかけだそうですね。

ここで、他の日本代表選手のエピソードのように

高校1年生からエースで2学年上のお兄さんと
力を合わせ、春高バレーで初優勝に貢献
とかだったらカッコイイのですが、

そうではなかったようですね。

実際の高校1年生の時は、
そんなに活躍していなかった。

お兄さんが次のように話しています。

「身長は190cmぐらいあったんですけど、
全然跳べなくて、

スパイクを打ってもネットにかかるか、
ネットインで入るか、という感じ。

ヤクルト(の高さほどの)ジャンプです。
もう本当に、あれはひどかったです(笑)」

お兄さんにひどいと言われていた甲斐選手ですが、

高校時代に鍋倉雄次郎監督のもとで
劇的に成長したようですね。

甲斐選手が高校3年生の時に、
お兄さんが次のように話しています。

自身が専修大に入学し、
全日本インカレを終えたオフの期間や、
優斗の3年時の春高前に
練習相手を務めたとき、

優斗のスパイクは一変していた。
ミドルブロッカーのポジションからの
速攻だけでなく、
高いトスからの
スパイクも打てるようになっていた。

「アタックラインの前ぐらいに
ドーンと打たれて、
全然拾えませんでした。

こんなに成長する?
と思うぐらいジャンプして、
打っていた。

優斗もすごいけど、
やっぱり鍋倉先生はすごいな、
って思いました」

実際に高校3年生のときに、春高バレーに初出場し、
初出場ながら3回戦では優勝候補の一角を破り、
ベスト4に入る立役者になっています。

優秀選手賞も獲得しました。

身長200cmと高校生離れした高さで
相手ブロックの上から打つアタックが武器となり、
「甲斐優斗」という名を広めました。

地元の宮崎から集まった選手ばかりの高校で、
初出場なのに凄いですね。

高校時代成長したのは、
バレーボールの技術だけでなく
身長もよく伸びましたね。

高校入学時は、185cmだった身長が、
高校在学中に15cmも伸びて2mになりました。

これもある意味才能ですね。

甲斐優斗の大学は?フランス挑戦?

甲斐選手は大学も、
お兄さんと同じ専修大学に進学しました。

春高バレーで一躍バレー界で
有名になった甲斐選手は、

2022年大学進学後すぐに日本代表に選ばれ、
アジアU20選手権に出場します。

そして2023年には日本代表デビューし、
目覚ましい活躍をされています。

さらに、2023年度男子日本代表の活動を終えて、
専修大に戻り秋季リーグの後半4戦と
全日本インカレを戦い、シーズンを終えた。

かと思いきや、ここからはフランスリーグへと
挑戦することになりました。

同じ日本代表の宮浦健人選手のいる
パリ・バレーでプレーしました。

 始まりは、男子日本代表活動が
終わったタイミングで、

「大学シーズンが終わったら、
国内でもいいから(外のチームに)
出てほしい」

とフィリップ・ブラン監督から
言われたことだった。

初めは国内リーグも考えたが、
パリオリンピックを見据えた
海外挑戦も打診され、

公益財団法人日本バレーボール協会の
管轄のもと、
急ピッチで話が進み出国の日を迎えた。

本人は寸前まで悩んでいたが、
話が進むにつれて
「やってみようという気持ちになりました」
とのことです。

フィリップ・ブラン監督から
言われたということは、
パリオリンピックでの活躍を期待してる
ということですよね。

日本バレーボール協会も含めて、
甲斐選手のさらなる成長を望み、
何でも協力しますよ。
ということですね。

実際に甲斐選手は、
4カ月余りのフランスリーグ挑戦で
急成長しているようです。

ネーションズリーグでスタメン出場していますが、
第2週からは、
石川祐希選手と高橋藍選手が戻ってきます。

彼らが戻ってきたら、
甲斐選手は控えに回ると思いますが、

以前より出場機会のチャンスは増えると思うので、
活躍してもらいたいですね。

そしていつの日か、
日本代表の絶対的エースになることを
期待します。

応援しましょう。

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