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坂本勇人の2025年の年棒は?過去の年棒推移は?プロフィールをご紹介!

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野球
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坂本勇人(さかもと はやと)選手は、
読売ジャイアンツ所属のプロ野球選手です。
現在36歳です。

19歳で読売ジャイアンツの遊撃手の
レギュラーポジションを勝ち取って以来、

チームの中心を走り続けてきた
坂本勇人選手。

持ち前の勝負強い打撃と強打力、
そして華麗な守備ワークで、

これまでチームに多くの勝利をもたらし、
自身も

・首位打者
・最多安打
・最高出塁率
・シーズンMVP
・ベストナイン
・ゴールデングラブ

などといった多くの主要タイトルを獲得して
きました。

この他にも、

2016年には、
セ・リーグの遊撃手として史上初の
首位打者を獲得。

2020年には、
通算2000本安打を達成。
(31歳10ヵ月での達成は史上2番目の記録)

2023年には、
遊撃手として2000試合出場
(プロ野球史上初)を達成する等、

数々の輝かしい記録を残している、
プロ野球界のレジェンドですね。

ところが、
ここ数年はケガに悩まされる事も多く、

長年の蓄積疲労からか
出場機会も減少していますね。

2023年シーズン後半からは、
長年守ってきた遊撃手から三塁手への
コンバートを受け入れ、

2025年度の契約更改では、
1億円ダウンで本人も納得のサインをして
います。

今年2025年は、
坂本勇人選手にとって、

まさにキャリアの正念場といえる年に
なりそうですね。

そこで今回は、
そんな坂本勇人選手について

・2025年の年棒
・過去の年棒の推移と成績
・坂本勇人選手のプロフィール

などについて調べてみました。





坂本勇人の2025年の年棒は?

2025年の坂本勇人選手の年棒は、
前年から1億円ダウンの
”5億円”です。

2019年に結んだ複数年契約については、
2024年で終了し、
新たに単年契約を結んでいます。

2024年は、

守備でこそコンバートされた三塁手で
ゴールデングラブ賞に輝く活躍をした
坂本勇人選手でしたが、

打者としては成績不振が続き、
109試合で打率2割3分8厘、7本塁打、34打点
と調子が上がらず、

6月には、
打撃不振を理由に一軍の出場選手登録を
抹消されました。

プロデビューを果たした2007年以来、
実に17年ぶりの二軍落ちでした。

本人はさぞ悔しかったでしょうね。

坂本勇人選手は、
2024年シーズンを振り返り、
以下のように語っています。

「こんなにうまくいかないことって、
あまりなかったので。
すごく考えさせられたシーズンだった。」

また、
今後の意気込みについては、
以下のようにも語っています。

「今後は1年、1年が勝負だと思って
やりたい。」

「ジャイアンツは常に勝たないといけない
チーム。

僕もそこでずっとレギュラーを張ってきた
自負もあります。」

「もう後が無い」という危機感と、
「このままでは終われない」という
強い覚悟が伝わってきますね。

まさに今年2025年は、
坂本勇人選手にとって正念場といえる年に
なりそうです。

そして、
ジャイアンツには今年、
あの男がやってきます。

日本プロ野球界のレジェンド
田中将大(たなか まさひろ)投手です。

昨年末に発表された、
田中将大投手のジャイアンツへの電撃移籍決定の
ニュースは日本中を驚かせましたね。

二人は小中学校時代の同級生。
小学生時代は同じ少年野球チーム
「昆陽里(こやのさと)タイガース」に所属し、

坂本勇人選手が投手、
田中将大投手が捕手でバッテリーを組んでいた
という過去を持ちます。

当時の打撃練習では、
左翼側後方にある小学校に何球当てられるか
競い合う等、

坂本勇人選手と田中将大投手は、
互いの技術を高め合う良いライバル関係
でした。

二人は中学から別のチームに進み、
高校は坂本勇人選手が青森・光星学院、
田中将大投手が北海道・駒大苫小牧に進学。

その後二人はプロ野球界へ。
坂本勇人選手はジャイアンツ、
田中将大投手は楽天に入団します。

互いにそれぞれの球団で、
(田中将大投手はメジャーも経験し)

数々の輝かしい成績を残し、
プロ野球界を代表する選手へと成長
しました。

そして二人はと今年ともにプロ19年目。

ピーク時のような成績をあげる事は難しく、
加齢による衰えや長年の蓄積疲労等による
ケガや成績不振で、

残された時間はさほど多くはないと
思われる球界のレジェンド達。

互いに正念場を迎えたこのタイミングで、
この二人が再び同じチームでプレーする
事になるなんて、

野球の神様も粋な計らいをするものです。

田中将大投手が来る事を知った坂本勇人選手は、

「彼は特別な存在なので、
一緒に戦えるのはうれしいです」

と歓迎するコメントを発表しています。

今シーズンの、
両レジェンドの活躍に大注目ですね。



坂本勇人の過去の年棒推移は?

坂本勇人選手のこれまでの年棒の推移と
成績を以下にまとめました。

年数 年齢 年棒 打率 打点 本塁打 OPS
2007 1年目 19 650万円 .333 2 0 .667
2008 2年目 20 2250万円 .257 43 8 .650
2009 3年目 21 3400万円 .306 62 18 .823
2010 4年目 22 8000万円 .281 85 31 .836
2011 5年目 23 1億2000万円 .262 59 16 .714
2012 6年目 24 1億1000万円 .311 69 14 .815
2013 7年目 25 1億8000万円 .265 54 12 .728
2014 8年目 26 1億8000万円 .279 61 16 .765
2015 9年目 27 2億2000万円 .269 68 12 .754
2016 10年目 28 2億5000万円 .344 75 23 .988
2017 11年目 29 3億5000万円 .291 61 15 .802
2018 12年目 30 3億5000万円 .345 67 18 .962
2019 13年目 31 5億円 .312 94 40 .971
2020 14年目 32 5億円 .289 65 19 .879
2021 15年目 33 5億円 .271 46 19 .826
2022 16年目 34 6億円 .286 33 5 .759
2023 17年目 35 6億円 .288 60 22 .884
2024 18年目 36 6億円 .238 34 7 .613

それでは、
坂本勇人選手の年棒の推移と、
過去の成績についてみてみましょう。

坂本勇人選手は2006年のドラフト会議で、

堂上 直倫(どのうえ なおみち)選手を
抽選で外した読売ジャイアンツから
1巡目指名を受け、

契約金8000万円・年俸650万円で契約が成立。
2007年にジャイアンツに入団します。

1年目(2007年) 年棒650万円

阿部慎之助(あべ しんのすけ)現監督の
代走で1軍デビューを果たしています。

9月6日の中日戦で初安打、初打点を
記録します。

2年目(2008年) 年棒2250万円

開幕から二塁手で先発出場します。
その後は正遊撃手に定着し、
この年の全試合に出場します。

10代での開幕スタメン入りは、
松井秀喜(まつい ひでき)選手以来です。

この年には初ホームランも記録しています。
(しかも満塁弾)

19歳3ヵ月での満塁弾はセリーグ最年少記録
です。

3年目(2009年) 年棒3400万円

打率3割以上をキープします。
最多得点王、ベストナインを受賞
しています。

4年目(2010年) 年棒8000万円

ホームランを量産し、
31本塁打を記録しています。

5年目(2011年) 年棒1億2000万円

年棒が1億円を超えます。

打撃不振や守備の乱れなどにより
スタメン落ちも経験しましたが、

得点圏打率はリーグトップの0.361を
記録します。

高校からのプロ入りで5年目の年俸が
1億円を超えるのは、
巨人では松井秀喜選手以来です。

6年目(2012年) 年棒1億1000万円

ベストナイン、最多安打を受賞しています。
この年盗塁を16個決めましたが、
盗塁成功率は驚異の94.1%でした。

7年目(2013年) 年棒1億8000万円

WBC日本代表に選出されます。
WBC以降不振な時期が続きますが、

そんな中でも4年連続で満塁本塁打を
記録します。

8年目(2014年) 年棒1億8000万円

通算100号本塁打、通算1000本安打を
達成します。
通算100盗塁も記録します。

25歳5カ月での1000本安打達成は
セリーグ史上最年少記録です。

9年目(2015年) 年棒2億2000万円

ジャイアンツのキャプテンに就任します。

ケガによる抹消などもあり打撃成績は
ややダウンしていましたが、

遊撃手での守備率は0.982でリーグトップ
でした。

第1回WBSCプレミア12の日本代表に選出され、
最優秀守備選手に輝きます。

10年目(2016年) 年棒2億5000万円

首位打者を獲得(.344)します。
遊撃手での首位打者はセリーグ史上初です。

この年はその他にも、
最高出塁率.433、ゴールデングラブ賞、
ベストナイン賞も獲得しています。

11年目(2017年) 年棒3億5000万円

年棒が3億円を超えます。

WBC日本代表に選出されます。
WBCでは打率が驚異の4割越えでした。

通算1500安打を達成し、
ゴールデングラブ賞も獲得します。

12年目(2018年) 年棒3億5000万円

通算300二塁打、通算1500出場を達成します。
ベストナイン賞も獲得します。

13年目(2019年) 年棒5億円

年棒が5億円に到達します。

※坂本勇人選手はこの年(18年オフ)に
5年契約を結び、

3年目の2021年までは年俸が5億円の
固定制でした。

開幕から36試合連続出塁の達成
(セリーグ新記録)。

通算200本塁打の達成。
(この年だけで40本塁打)

ベストナイン、ゴールデングラブ賞を
受賞します。

プレミア12に出場し日本の優勝に貢献
します。
この年のシーズンMVPにも輝いています。

14年目(2020年) 年棒5億円

通算2000本安打を達成します。

31歳10ヵ月での達成は史上2番目の
年少記録です。

ベストナイン、ゴールデングラブ賞を
受賞します。

15年目(2021年) 年棒5億円

東京オリンピックに出場します。

1次リーグ戦から準決勝までの4試合
全てで打点を挙げ、
日本の金メダル獲得に貢献します。

通算250本塁打を達成します。
通算400二塁打を達成します。
(32歳9カ月月での達成は史上最年少)

16年目(2022年) 年棒6億円

年棒が自身最高額の6億円に到達します。

3月21日の練習中に左内腹斜筋を損傷。
これにより開幕戦の先発出場が
14年連続で途切れます。

4月30日の阪神戦で右膝内側側副靱帯を損傷。
再度戦線を離脱します。

7月7日にも腰痛のため再び離脱。
最終的にはこの年は83試合の出場に留まり、

14年連続でクリアしていた規定打席数に
届きませんでした。

この年のオフ、
坂本勇人選手はキャプテンの座を退きます。
後任は岡本和真(おかもと かずま)選手。

17年目(2023年) 年棒6億円

開幕から22打席無安打と不調が続きました。
遊撃手としての2000試合出場を達成します。
(日本プロ野球史上初)

6月23日の対広島戦で、
右大腿二頭筋長頭肉離れを起こし、
翌日登録抹消されます。

9月7日のヤクルト戦で
遊撃手から三塁手にコンバートされます。
以降の試合は三塁手で出場しています。

18年目(2024年) 年棒6億円

守備面では、
前年からコンバートされた三塁手での
好守備が評価され、

ゴールデングラブ賞を受賞しました。

一方、
打者としては成績不振が続き、

109試合で打率2割3分8厘、7本塁打、34打点
の成績に留まります。

6月には、
打撃不振を理由に一軍の出場選手登録を
抹消されます(自身初の2軍落ち)。

そして、
今季19年目(2025年)の年棒は、
前年度から1億円ダウンでの5億円です。

こうしてみても明らかなように、
特に2022年以降で、

ケガによる戦線離脱や、
打撃不振による成績の低迷が明らかですね。

2022~2024年の年棒が最高年棒の6億円を
維持できたのは、

2018年オフに球団と結んだ5年契約の恩恵を
受けたからでしょう。

しかしそれも2024年まで。

2024年オフの契約更改では、
球団から1億円ダウンを提示され、
本人も納得のサインで合意しています。

まさに、
2025年は坂本勇人選手にとって
正念場といえる年になりそうです。



坂本勇人のプロフィールをご紹介!

出身地      :兵庫県伊丹市
出身中学   :伊丹市立松崎(いたみしりつまつざき)中学校
出身高校   :八戸学院光星(はちのへがくいんこうせい)高校
生年月日   :1988年12月14日生まれ
身長・体重:186cm / 86kg
投球・打席:右投右打
ポジション:遊撃手 ※2023年9月7日からは三塁手
ドラフト   :1巡目 8000万円

坂本勇人選手の名前の由来は、
第58代総理大臣池田勇人(いけだ はやと)さん
から取ったもので、

大きな人間になってほしいというご両親の
想いが込められています。

坂本勇人選手はその後、
日本プロ野球界を代表する選手にまで
成長したのですから、

ご両親もさぞ喜んでいくれている事
でしょう。

そのご両親ですが、
実は坂本勇人選手が幼い頃に離婚しています。

ご両親の離婚後、
坂本勇人選手は母親のもとで育ちました。

坂本勇人選手は3人兄弟の次男で、
6歳上の兄と3歳下の弟がいます。

兄は坂本勇太(さかもと ゆうた)さん、
弟は坂本勇斗(さかもと ゆうと)さん
といいます。

勇斗さんは、
2013年から坂本勇人選手の依頼で
個人マネージャー
をしていて、

坂本勇人選手の送迎や、
自主トレに帯同するなど、
選手生活を支えてくれています。

気の許せる弟さんが
近くで自分を支えてくれるというのは、
さぞ心強いでしょうね。

坂本勇人選手が野球を始めたのは
小学1年生から。

小学生の時は、
兵庫県の少年野球チーム、
昆陽里(こやのさと)タイガースに所属。

昆陽里タイガースでは、
坂本勇人選手は、
投手として活躍していました。

同級生で同じチームに所属していた
捕手の田中将大選手とバッテリーを
組んでいました。

監督として二人を6年間指導した
山崎三孝(やまざき みつたか)さんは、
二人について次のように語っています。

「地道に努力を重ねた田中将大に対し、
坂本勇人は天才肌。
アドバイスをすぐにマスターしました」

坂本勇人選手はきっと、
この頃から野球のセンスに溢れた
天才少年だったんでしょうね。

その後坂本勇人選手は、
伊丹市立松崎(いたみしりつまつざき)中学校
に進学します。

中学時代は伊丹(いたみ)リトルシニアに所属。

田中将大投手とはその後、
同じ野球チームでプレーする事はありません
でした。

伊丹リトルシニアに所属し、
野球選手としてはメキメキと成長していった
坂本勇人選手でしたが、

この頃の坂本勇人選手は、
野球以外の時間は近隣のコンビニやデパート
で遊び仲間とたむろしていたりと、

素行の悪い生徒というレッテルを貼られて
いました。

それは、
野球での高校進学を目指す際に、
受け入れ先が全く見つからなかった程でした。

坂本勇人選手の進路を心配した
母輝美(てるみ)さんは、
近所に住む野球に詳しい知人に相談し、

ようやく進学が決まった高校が、

青森県にある
八戸学院光星(はちのへがくいんこうせい)
高校でした。

母輝美さんの必死の努力により、

青森県の高校野球強豪校である
八戸学院光星高校に進学した坂本勇人選手は、
野球部に入部します。

1年生の時には、
厳しい練習に野球を辞めたくなり、

わざと鼻ピアス姿を監督に見せて
故郷の兵庫・伊丹に強制送還させられる
という野球部退部危機もありましたが、

周囲の説得により心を入れ替え、
野球部に復帰してからの坂本勇人選手は、

それまでの時間を取り戻すかのように、
厳しい練習にも率先して取り組むように
なります。

3年春には甲子園に出場するも1回戦で敗退。
その後の春季東北大会は4試合で

驚異の打率.813(16打数13安打)をマーク
します。

3年夏の甲子園出場は叶いませんでしたが、
それまでの坂本勇人選手の活躍が、
巨人の担当スカウトの目に止まり、

10月のドラフト会議で1巡目指名を受け、
読売ジャイアンツへの入団決まります。

母輝美さんもさぞ喜んだ事でしょう。

実は輝美さんですが、
この次の年の2007年6月にガンで亡くなって
います。

坂本勇人選手ジャイアンツ入団1年目の事
でした。

輝美さんはきっと、

ジャイアンツの一員になった坂本勇人選手
の雄姿をみて安心して、
天国へと旅立ったんでしょうね。

そして坂本勇人選手は、
その後現在に至るまで、

数々の輝かしい成績を残し、
ジャイアンツの中心選手として
今なお走り続けています。

今年は、
プロ入り19年目を迎えた坂本勇人選手
にとって勝負の年になります。

円熟味を増した熟練の技術と
持ち前のセンスでヒットを量産し、

まだまだジャイアンツに不可欠な存在である事
を証明してもらいたいですね。

まずは、
今年2500本安打の達成。

そして近い将来、
プロ野球史上2人目となる通算3000本安打を
達成する姿をみせてもらいたいです。

今後も皆さんで坂本勇人選手を応援しましょう。

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