丸佳浩(まる よしひろ)選手は、
日本プロ野球界を代表する一流の外野手です。
現在の年齢は35歳です。
その卓越した打撃センスと華麗な守備で、
ファンを魅了し続けています。
カープ時代は、「〇△□×」
なんていう暗号がネットを
騒がせていました。
何かわかりますか?
これは「丸さんかっけー、死角なし」
という意味です。
すごくおもしろいですよね。
本人もこれを気に入っていました。
まさに一流にふさわしいフレーズ。
2024年の6月1日の西武戦では、
史上47人目の通算1000得点を達成
していましたね。
そんな丸選手は、今や読売巨人軍の
中心選手として、チームの勝利に
欠かせない存在となっています。
その実績は輝かしいものがあります。
年度 | タイトル |
---|---|
2013 | ゴールデングラブ賞 |
2017 | MVP、最多安打、ゴールデングラブ賞、ベストナイン |
2018 | MVP、最高出塁率、ベストナイン |
2019 | ベストナイン |
2020 | ベストナイン |
2021 | ベストナイン |
2022 | ベストナイン |
2023 | ベストナイン |
華々しい経歴がずらりと
並んでいますね。
きっと言い寄ってくる
女性はたくさんいたはずです。
顔もかっこかわいいなんて言われていますしね。
そして、見た目のよさだけでなく、
中身もとってもお茶目です。
カメラを向けると、よく変顔をします。
そんな丸選手ですが、
華々しい野球人生の陰には、
支えてくれる奥さんの存在があります。
多くのファンが気になっているのは、
野球にひたむきに取り組む姿だけでなく、
プライベートな一面もですよね。
奥さん(嫁)はどんな方なのか、
両親や兄弟との関係はどうなのか。
中学、高校はどこなのか。
こうした疑問を持つ方も
多いのではないでしょうか。
本記事では、丸選手の奥さん(嫁)の情報や、
両親や兄弟、そして中学、高校時代まで、
現時点でわかっている事実を詳しく解説します。
丸佳浩の奥さん(嫁)はどんな人?幼なじみとの10年愛が実った結婚
丸選手の奥さんは
岩政里佳(いわまさ りか)さんと言います。
1989年生まれで千葉県勝浦市出身です。
二人は同じ小・中学校に通い、幼なじみ
としての関係を築いてきました。
交際は、中学1年生から始まり、
約10年間という長い時間を
共に過ごしてきました。
当時から仲が良く、
お互いの家族も親しい関係だったため、
自然と交際が始まりました。
自然とって気になりますよね。実は、
どちらが交際を申し込んだのか
わかりません。
その理由として、丸選手が
「もう覚えていない」と
照れ笑いで答えているためです。
なんだかはにかむ丸選手が
想像できますよね。
高校は別々でしたが、
実家同士が200メートルの距離に
ありました。
家族ぐるみの付き合いで両家を行き来し、
プロに入っても遠距離恋愛で愛を育みました。
この10年間の純愛は、
本当にロマンチックですよね。
丸選手の一途さが伝わってきます。
それに、そこまで丸選手を夢中にさせる
里佳さんは一体どんな人なんだって
思いますよね。
里佳さんについて、丸選手は
こんなふうに言っています。
似顔絵で描いた通り、
里佳さんは笑顔のかわいい
癒やし系の和風美人だ。10年の純愛を実らせ結婚することに
丸は「優しいし、体をいつも
気を使ってくれる。いっしょにいて楽ですよね。
素の自分でいられる」
と居心地の良さを真っ先に挙げた。
和風美人で、料理が上手で、優しい
なんて、本当にすてきな人ですよね。
丸選手の選球眼…さすがですね。
ちなみに得意料理はマカロニグラタンです。
丸選手からは「マジうまい。最高」と
絶賛されるほどです
二人は2012年3月30日に結婚しました。
なんとこの日は、
お二人が付き合い始めた記念日でもあり、
特別な意味を持つ日となっています。
結婚当時、里佳さんは22歳で
大学生でしたが、すでに妊娠中であり、
新たな命を迎える準備も整っていました。
ちょうどこのころから、丸選手の年俸も
1000万円を超え、成績も上がってきました。
きっと大きな覚悟をもっていたんですね。
現在、二人の間には3人の子どもがいます。
最初に誕生した子供は
長男の耀太(ようた)くんです。
誕生日は2012年9月23日です。
他の兄弟の性別や名前などの詳細は
明かされていません。
丸選手と里佳さんの結婚は、
まさに10年愛を実らせた
素晴らしいストーリーです。
幼なじみから始まり、中学時代の真剣交際、
そして長い遠距離恋愛を経て結ばれた絆は、
とても強いものだと感じます。
里佳さんの優しさと気遣い、
そして丸選手の家族への愛情が、
この素敵な家庭を支えていますね。
これからも丸選手と里佳さん一家には
注目していきたいですね。
丸佳浩の両親はどんな人?:理髪店を営む父と母の支え
丸選手の成功の裏には、
両親の温かい支えと教育方針があります。
父親の名前は丸浩二(こうじ)さん
と言います。
地元で理髪店「カットサロンまる」
を営んでいます。
なんだかわいらしい名前ですよね。
浩二さんは大原高校の元球児であり、
丸選手が小学3年生の頃から
野球を教えてきました。
浩二さんの教育方針は明確で、
「うそといじめと遅刻は禁止」
というルールを設けていました。
この方針に従う限り、
「人に迷惑をかけなければ、
好きなだけ遊んでよい」
とも伝えていました。
なんだか少年時代の丸選手はかなり
自由な感じがしますね。
浩二さんは丸選手のプロ野球になりたい
という思いを叶えるために、
長い竹竿を与えました。
これは、前巨人監督、高橋由伸さんが
幼少期に自宅裏の林の竹を素振りに利用したのを
まねたものでした。
小学校3年生から長い竹竿で素振りって…
先端も重そうなので、この頃からパワー系
なんですかね。すごすぎる。
子供の頃から巨人の選手は憧れだった
という丸選手ですが、移籍先について
両親に相談はなかったそうです。
「子供の頃から自分で決めるよう
育ててきたつもり。
自分の好きなことをやりなさい。でも、失敗したら自己責任だって。
しかも、30歳近くなって、
どこの家でも父親に進路相談する
あんちゃんはいないでしょ。」浩二さんは豪快に笑った。
なんだかこの話をしているときの
浩二さんの笑顔で語る姿が目に浮かびますね。
でも、この決断でお店には多数の嫌がらせが
ありました。移籍決定後、無言電話が
1日最大30件もかかってきました。
また「巨人に行ったら、
お前ら家族みんな不幸になるぞ」
という内容の手紙も届いたとのことです。
これは本当に残念な出来事です。
丸選手を産み、育ててくれた両親に
感謝をしてほしいですよね。
次に母親です。
母親の名前は丸利栄(としえ)さんです。
利栄さんも浩二さんと一緒に
「カットサロンまる」を営んでいます。
利栄さんは丸選手が子供のころ、
食事の面でサポートをしていました。
丸選手はものすごく偏食です。
実はプロ野球に入った頃も変わらずだったとか。
丸選手自信もこのように語っています。
僕はもともと食べ物の好き嫌いが
すごく多かったんです。特に、野菜に関しては
「人間が食べるものではないな…」
って思うくらい苦手でした。結婚する前は、お米・魚・肉ばっかり
食べていて、バランスについてあまり
考えていませんでしたね。今は、奥さんが色々作ってくれるので
ようやく最初に野菜を食べて、その後に小鉢とか栄養バランスを
気にするようになりました。
相当な偏食なのがわかりますよね。
きっと利栄さんも大変だったと思います。
でも、利栄さんはそんな丸選手のために、
「いわしのつみれ汁」を考えたのです。
いわしは中骨だけ取って、
すり鉢ですりつぶし“つみれ”にします。
大根の出汁がしみこんで、
野菜嫌いの丸少年も喜んで食べたそうです。
少しでも栄養を取ってほしいという
利栄さんの思いがつまっていて、
なんだか温かさが伝わってきますよね。
他にも、噂では丸選手の活躍を自作DVDに
まとめるほど熱心だとか…。
なんだか愛を感じますよね。
二人の素敵な両親に支えられた結果、
今の丸線選手の基礎がつくられたと言っても
いいと思います。
もし機会があれば、「カットサロンまる」で
幼少期の丸選手について聞いてみたいものですね。
丸佳浩の兄弟関係:2人の妹との絆
丸選手には2人の妹がいることが
知られています。しかし、一般人のため
詳細はわかりません。
丸選手がきりっとした目元なので、
もしかしたら妹も、きりっとした目元
かもしれませんね。
父親が丸選手は幼少期から
妹たちの面倒を見てくれる、
手がかからない子だと語っています。
運動神経がよく、優しいだなんて、
妹たちからしたら自慢の兄と
言ってもいいですよね。
きっと妹と丸選手の絆も強かった
のだと思います。
丸選手が小学校1年生の頃には、
両親が法事で留守にした際に
妹たちを任されました。
この時、丸選手は下の妹用のミルクを準備し、
ベビーカーに乗せて公園に連れて行く一方、
上の妹の手を引いて遊びに行くという
頼もしい姿を見せました。
このエピソードは、
丸選手が幼い頃から「頼れるお兄ちゃん」
として妹たちを支えていたと言えますね。
きっと今は妹たちに対する優しさを、
我が子に向けていますね。
幼少期から妹たちを支えてきた経験は、
現在の丸選手にも良い影響を与えている
と思います。
今後も丸選手の兄弟関係の記事に
注目していこうと思います。
丸佳浩の中学・高校時代:勝浦市立勝浦中学校から千葉経済大学附属高校までの軌跡
丸選手は千葉県勝浦市出身で、
勝浦市立勝浦中学校に通っていました。
小学3年生からソフトボールを始め、
その経験が後の野球キャリアに
影響を与えました。
でも、もっと早くから野球に
取り組んでいると思いませんでしたか?
以外にも3年生からだったんですね。
中学校では軟式野球部に所属し、
投手と遊撃手を兼任する二刀流として活躍
していました。
これを見るだけでもかなりのセンスを
感じます。運動神経がよいからこそ、
どこでもできたんですね。
中学校を卒業後は、
千葉経済大学附属高校に入学します。
千葉県と言えば、習志野高校や専修大松戸、
近年では木更津総合高等学校など、
かなりの強豪校揃いですよね。
高校2年生の夏、丸選手は甲子園に出場し、
3番・右翼手としてチームのクリーンナップを
任されました。
入学当初から身体能力が非常に高く、
負けん気の強い性格で知られ、
高校3年生の時にはエースとして
マウンドに上がりました。
丸選手は高校時代に投手として
最速144km/hをマークし、
春の関東大会で優勝。
その後選抜大会にも出場しましたが、
延長戦で熊本工業に敗れました。
この試合では、巨人に入団した
藤村大介投手との対戦もありました。
ちなみに藤村選手は
高校生ドラフト1巡目で
読売ジャイアンツに入団しましたね。
かなりの実力者ですが、
2017年に戦力外通告を受けています。
ここからも丸選手の息の長さがわかりますね。
丸選手は高校通算49本塁打という
素晴らしい記録を残しており、
高校時代から筋トレに力を入れていました。
しかし丸選手は
「49本のホームランを
放っているとはいっても、高校時代のことは
あまりアテになりません。僕らの世代で光っていたのは
中田翔(大阪桐蔭-北海道日本ハム)
ですよ」
と振り返っています、
中田翔(なかた しょう)選手と丸選手は
同年代ですしね。
中田選手は高校通算87本塁打です。
丸選手が謙遜するのも少し納得します。
当時の監督は、丸選手のことを
打球を予測するセンスがないため
フライが捕れないと語っており、
丸選手のエラーによって負けそうになった試合も
あったと語っています。
このような守備面での課題はあったものの、
その後の成長を促す要因となりましたね。
千葉経済大学附属高校はここ数年甲子園に
出場していませんが、丸選手が在籍したころは
ちょうど絶頂期でした。
というか、丸選手がいたから、甲子園に
出場できたのではと思ってしまうぐらい、
そのあたりに出場回数がかたまっています。
その証拠に、丸選手が抜けた後は
2008年だけしか出場できていません。
もちろん丸選手だけではないですが、
丸選手の存在はかなり大きかったと
思います。
丸選手は中学・高校時代に多くの経験を積み、
その成長過程が今につながっています。
甲子園出場や投手としての活躍、
高校通算49本塁打という記録は、
プロとして成功するための土台となりました。
今後も丸選手の活躍から目が離せません。
これからも追い続けていきましょう。
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