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吉田響に彼女はいる?両親や兄弟は?中学や高校はどこ?東海大学で何が!創価大学での活躍!

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陸上
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吉田響(よしだ ひびき)選手は、
創価大学陸上競技部所属の陸上選手です。
現在4年生です。

「箱根駅伝で山の神になる事」
を目標に掲げる吉田選手は、

“クライミングモンスター”の愛称を持つ
ランナーとしても知られています。

吉田選手といえば、
161cmという小柄な体を活かした、

力強いピッチ走法と
粘り強い走りが魅力ですよね。

大学ラストイヤーとなった今年度も、
素晴らしい走りをみせてくれています。

10月の第36回出雲駅伝では2区を走り、
9人抜きという圧巻の走りで区間賞を獲得。

11月の第56回全日本大学駅伝でも2区を
走った吉田選手は、

青山学院の鶴川選手と壮絶なデットヒート
を繰り広げ、
区間2位ながらも区間記録を更新しました。

吉田選手のこれらの活躍は、

両大会で4位という好成績を収めた
創価大学の大躍進に、
大きく貢献した事は間違いありませんね。

そんな吉田選手ですが、
大学3年生の時に、
東海大学から創価大学に編入してきた

という異色の経歴を持つランナーとしても
知られています。

一体何があったのでしょうか。

次の箱根駅伝のキーパーソンとしても
注目されている吉田選手ですから、

その生い立ちや、
プライベート面等に興味をお持ちの方も
多いのではないでしょうか。

そこで今回は、
吉田選手について、

現在彼女はいるか。両親や兄弟について。
出身中学や高校。大学編入の理由。
大学での活躍など、

色々調べてみる事にしました。





吉田響は今彼女いるの?

色々調べてみましたが、
吉田選手の恋愛に関する情報は
全く見つかりませんでした。

イケメンで、
ファッションセンスにも定評のある吉田選手
ですから、モテない事はないはずですが、

2024年12月現在、
吉田選手とお付き合いをされているお相手は
いないと思います。

吉田選手は、現在は寮生活をしていますし、
今年は大学ラストイヤーの勝負の年ですから、
今は陸上競技に集中しているようですね。

因みに、吉田選手は好きなタレントとして
女性ラッパーとして活動している
“ちゃんみな”さんの名前を挙げています。

今後、
ちゃんみなさん似の美人で素敵な彼女が
できるといいですね。



吉田響の両親や兄弟はどんな人?

調べてみましたが、
両親についての詳細情報や、

吉田選手に兄弟がいるか等の情報については
一切みつかりませんでした。

吉田選手は一人っ子で、
家族構成は両親と吉田選手の3人家族
だと思います。

両親が陸上競技経験者かどうかも不明ですが、

吉田選手が父親とのエピソードについて
以下のように語っている情報をみつけました。

父親のバジルパスタが
すごく好きなんですけど、

そうしたら『じゃあ冷凍して持っていくよ』
と言って持ってきてくれて。

それで試合とか練習で頑張った時に、
ごほうびみたいな感じで
いつも食べています」

父親との関係性が良好な事が分かる
微笑ましいエピソードですね。

吉田選手が、
東海大学から創価大学に編入する際には、
様々な苦労や変化があったと思いますが、

きっと両親からのアドバイスやサポート
無しでは、大変な状況を乗り越える事が
できなかったかもしれません。

両親には感謝ですね。

ところで、
創価大学陸上部の同級生には、

吉田選手と同じ苗字で今年主将を務める
吉田凌(よしだ りょう)選手がいます。

二人はとても仲が良く、
一緒に行動することが多いので、

二人が双子の兄弟かと思う人もいる
のではないでしょうか。

吉田凌選手と吉田響選手は、
兄弟ではありませんが、

吉田凌選手は吉田響選手について、

「響がいるから僕も成長できる」

と語っているなど、
お互いに切磋琢磨しあう、
とても良い関係のようです。

この”吉田コンビ”も、
創価大学には欠かせない存在ですね。



吉田響の出身中学や高校はどこ?

吉田選手の出身中学校は、
御殿場市立原里(はらさと)中学校です。

吉田選手は中学に入ってから本格的に
陸上を始め、

3年生の時に、
ジュニアオリンピック陸上競技大会の
3000mに出場しています。

この大会で吉田選手は、
3000mを8分40秒93のタイムで7位の
成績を残しています。

因みにこの大会では、
現在東洋大学在籍の
石田洸介(いしだ こうすけ)選手が1位、

現在青山学院大学在籍の
鶴川正也(つるかわ まさや)選手が3位
という成績を残しています。

今年の全日本大学駅伝2区で
デッドヒートを繰り広げた鶴川選手と
吉田選手は、

中学時代から同じレースに
出ていたんですね。

吉田選手はこの他にも、
3年生で天皇盃第23回
全国都道府県対抗男子駅伝競走大会で

6区を走り、
2位の記録を残しています。

中学の駅伝全国大会での区間2位は
凄い記録ですよね。

吉田選手の出身高校は、
東海大学付属静岡翔洋(しょうよう)高校です。
陸上競技の強豪校です。

高校時代の吉田選手の活躍としては、

陸上競技部としての全国大会出場の
記録は無いようですが、

個人としては、
2年生の時に全国都道府県駅伝に出場し、
5区で22位の結果を残しています。

2年生では、
さらに静岡県市長対抗駅伝競技大会にも
御殿場市の選手として出場しています。

この大会で5区を走った吉田選手は、
先頭との33秒の差を逆転し、

そのまま2位と28秒の差をつけて次の走者に
タスキを繋ぐという圧巻の走りをみせます。

吉田選手、強すぎますね。

この時の吉田選手の走りについて、
東海大静岡翔洋高校時代の恩師、
秋岡達郎(あきおか たつろう)監督は、

「結果を出すしかないと
追い込まれた時の(吉田)響は強い。」

と、吉田選手を称賛しています。

高校時代の吉田選手は、

駅伝以外にも3年連続で
静岡県高校総合体育大会5000mに
出場しています。

記録は以下の通りで、
吉田選手は、特に2年生以降で
好成績を収めています。

1年生:第66回静岡県高校総体 5000m 16位(15分31秒50)
2年生:第67回静岡県高校総体 5000m 3位(14分58秒23)
3年生:第68回静岡県高校総体 5000m 2位(14分33秒76)

3年生ではコロナ禍に入り、
体調面やモチベーションの維持が
大変だったはずですが、

順調にタイムを縮めているところが
凄いですよね。



吉田響の東海大学時代に何があった?

吉田選手は高校卒業後、
「箱根駅伝で優勝し山の神になる」
を目標に掲げ、東海大学に進学します。

吉田選手の大学デビューは
1年生での第98回箱根駅伝でした。

しかも本人が切望した5区の山登り。

吉田選手は、
1年生ながら区間2位の走りで
7人をごぼう抜きし、

チームの順位を一気に
17位から10位に押し上げる
という圧巻の走りをみせました。

山の神と呼ばれる走りには
届きませんでしたが、

吉田選手の、
山登りでの強さを十分にアピールできた
レースになりましたね。

因みに、
山の神になる為の条件は
以下の3つといわれています。

・箱根駅伝5区で区間賞をとること
・箱根駅伝で優勝すること
・ライバルをごぼう抜きするなど
圧倒的に強いこと

たしかに簡単に達成できる条件では
無いようですね。

山の神になれなかった吉田選手は、
おそらく翌年の箱根駅伝こそはと、
固く心に決めたに違いありません。

しかし、
吉田選手は2年生となった次年度は、
三大駅伝に一度も出場する事が無く、

3年生の春に東海大学の退学と、
創価大学への編入を発表しています。

世間を驚かせた発表でしたね。

一体何があったのでしょうか。

吉田選手はその理由について
Xの投稿で説明しています。

要約すると以下のような内容でした。

昨年秋からチームと自分の間で競技への
考え方が一致しない部分があり、

監督やチームメートと何度も
話し合いを重ねてきました。

ですがある時期を境に健康面そして
精神面が安定しなくなり、退部、退学を
せざるを得ない状況になってしまいました。

それでも箱根駅伝への思いを捨てきれずに
いたとき、幸い縁があり、創価大学で競技
を続けることができるようになりました。

チームと吉田選手の間での考えの不一致
とは具体的に何なのかについては、
明らかにされていませんが、

吉田選手の健康面や精神面が安定しなく
なってしまった事が、

東海大学を去る事になった一番の要因
になったようですね。

きっと精神的に追い詰められて
しまったんでしょうね。

次に、
創価大学に編入した理由についてですが、

創価大学の当時の
瀬上雄然(せがみ ゆうぜん)総監督に、

「もう一度がんばってみないか」
と声を掛けられた事が、

決断したきっかけになった事が
後に明らかになっています。

瀬上総監督は吉田選手と同じ
静岡県御殿場市出身で、

吉田選手の事を
気にかけてくれていたようです。

瀬上総監督との縁が無かったら、
現在の吉田選手の活躍は無かった
かもしれません。

瀬上総監督には感謝ですね。

こうして吉田選手は、
創価大学で心機一転、

再スタートする事になりました。



吉田響の創価大学での活躍は?

大学3年生の4月に創価大学に
編入してきた吉田選手は、

陸上競技部に
あたたかく迎え入れられ、

さらに進化を遂げていく事になります。

それでは、各大会での
吉田選手の活躍をみていきましょう。

吉田選手の創価大学での
三大駅伝デビューは、
3年生での第35回出雲駅伝です。

吉田選手は5区を走り、
区間記録に迫る17分45秒で走りました。

しかし、
チームの他選手の規則違反(ドーピング)
が発覚した事で、

吉田選手も失格になり、
記録も参考記録となってしまいます。

陸上界に激震が走った事件でした。

続く11月の第55回全日本大学駅伝では
吉田選手は5区を走り、区間賞を獲得。

しかも従来の区間記録を29秒も更新する
タイムでの区間新記録です。

まさに圧巻の走りでしたね。

年が変わり、
2024年1月の第100回箱根駅伝。
今回も5区を走るという事で、

山の神への再チャレンンジに燃える
吉田選手でしたが、

当日降っていた雨の対策でニット帽を
被って走った事が仇になります。

帽子が水を吸い込んだ事で体が冷えて
低体温症に陥り、

結果は区間9位と実力を発揮出来ずに
終わってしまいます。

これは完全に吉田選手の痛恨のミス
でしたね。

おそらく吉田選手は、
次回、自身最後の箱根駅伝に向け、
リベンジに燃えている事でしょう。

そして、
4年生となった今年の吉田選手も
素晴らしい活躍をみせています。

10月の第36回出雲駅伝では、
2区を走り、10位でタスキを受けると
なんと前を走る9人全員を抜き去り、

トップに浮上。さらに2位との差を
大きく広げてフィニッシュするという
圧巻の走りをみせました。

吉田選手、まさに独走状態でしたね。
強すぎます。

吉田選手のこうした活躍もあり、
創価大学はこの大会で4位という
好成績を収めています。

11月の第56回全日本大学駅伝でも
2区を走り、

3位でタスキを受け取った吉田響選手は、
青山学院大学の鶴川選手とのトップ争いで

抜きつ抜かれつの激しいデットヒートを
繰り広げ、

日本中を沸かせる攻防をみせてくれました。

最後はほぼ同着でしたが、
区間タイムで鶴川選手に1秒届かず
2位となった吉田選手ですが、

区間記録を更新する
輝かしい活躍をみせてくれました。

二人の、
互いに譲らない意地の走りには本当に
しびれました。

以上、創価大学編入後の吉田選手の
活躍でした。

最後に、吉田選手の大学駅伝での記録と、
自己ベスト記録について以下にまとめました。

吉田選手の大学三大駅伝成績

[東海大学]

1年生 第33回出雲駅伝    出走無し
1年生 第53回全日本大学駅伝 出走無し
1年生 第98回箱根駅伝    5区-区間2位 1時間10分44秒

2年生 第34回出雲駅伝    出走無し
2年生 第54回全日本大学駅伝 出走無し
2年生 第99回箱根駅伝    出走無し

[創価大学]

3年生 第35回出雲駅伝    5区-参考 17分45秒
3年生 第55回全日本大学駅伝 5区-区間賞 35分18秒
3年生 第100回箱根駅伝    5区-区間9位 1時間12分38秒

4年生 第36回出雲駅伝    2区-区間賞 15分46秒
4年生 第56回全日本大学駅伝 2区-区間2位 31分05秒

吉田選手の自己ベストは以下の通り

5000m:13分39秒
(2024年7月17日:ホクレン・ディスタンスチャレンジ深川大会)

10000m:28分12秒
(2024年5月9日:第103回関東学生陸上競技対校選手権大会)

ハーフマラソン:1時間01分45秒
(2024年6月30日:函館マラソン)

今年後の創価大学は、
出雲駅伝、全日本大学駅伝ともに4位と、

三強の青山学院、駒澤大学、國學院大学
に次ぐ位置につけており、

次の箱根駅伝では、
三強の一角を崩して3位以内に入る事を
チーム目標に掲げています。

そしてその目標を達成する為には、
吉田選手の活躍が不可欠です。

“クライミングモンスター”吉田選手は
去年のリベンジを果たし、
最後の箱根駅伝で山の神になれるのか。

同じく山の神の座を狙う、駒澤大学の
山川拓馬(やまかわ たくま)選手との
5区争いの行方も気になります。

新春の箱根駅伝は、
吉田選手と創価大学の活躍に大注目ですね。
みなさんで応援しましょう。

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