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宮部藍梨の両親は?兄弟は?彼氏・結婚は?アメリカ留学?出身地や出身高校は?所属チームは?

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バレーボール
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バレーボール選手の宮部藍梨(みやべあいり)は、
日本代表にも選ばれていて、注目の選手です。

外国人のように見えますが、
両親はどうなのでしょうか。

兄弟はいるのでしょうか。

彼氏はいるのか。
結婚はするのか。

アメリカに住んでいたようですが、
なぜでしょうか。

出身地や出身高校
そして、現所属チームなど
気なることが多くあります。

それぞれ調べてみることにしました。





宮部藍梨の両親はどんな人?

宮部藍梨選手の両親は、
父親がナイジェリア人で母親が日本人です。

ハーフだったのですね。

私が一番初めに宮部藍梨を見たのは、
彼女が高校1年生の時の春高バレーでした。

テレビで彼女を見た時に、最初は、
どこかの国の留学生が出ていると思いました。

しかし、表情はどことなく日本人ぽさも
感じられたので、

頭が?

になったのを覚えています。

その後、テレビの実況でハーフであることが
紹介されたので、なるほどなあと思ったものです。

ただその時は、ハーフであることが分かっただけで
満足し、両親が(どっちが)何人かには
あまり興味を持ちませんでした。

宮部藍梨は、高校1年生ながら
チームの絶対的エースで
チームを優勝まで導きました。

本当に凄かった。

日本人離れした、
しなやかな筋力と驚異的なジャンプ力が印象的で、
身体能力がずば抜けて凄いなと素直に思いました。

今回、日本代表に選出されたこともあり、
改めて調べてみて、
父親がナイジェリア人であることが分かりました。

父親は何かスポーツをしていたのか、
もしかしたら、
有名なスポーツ選手だったのかなど、

興味を持ち、あれこれ想像しながら、
さらに調べてみました。

が、残念ながら詳細は分かりませんでした。

両親ともに一般人であり、
取材などはすべて断っているのでしょうか。

もう少し、両親の情報が入ってくると
嬉しいですね。

もし、今後何か情報が入ってくることがあれば、
また、お伝えいたします。



宮部藍梨に兄弟はいるの?

宮部藍梨には、
3歳年下に妹がいます。

妹の名前は、宮部愛芽世(あめぜ)で、
彼女もバレーボール選手です。

高校は、お姉さんと同じ高校で、
高校1年生と2年生の春高バレーで
優勝(2連覇)しています。

残念ながら、
私はその時の春高バレーは見ていなく、

妹さんのプレーを直接見ていないので、
お姉さんとの比較などはできませんが、

お姉さんと同じポジションで、
高校一年生時からエースとして
活躍していました。

東海大学を経て、
現在は、
Vリーグ1部のJTマーベラスでプレーしています。

妹の宮部愛芽世の方は、今回は残念ながら、
日本代表に選ばれませんでしたが、

東海大学時代の2022年の世界バレーでは、
日本代表に選ばれています。

妹さんの方も実力はあるので、
将来に期待大ですね。



宮部藍梨に彼氏はいるのか?結婚は?

宮部藍梨に彼氏はいるのか。
とても興味深いですね。

色々と調べていくと、

抜群のスタイルと美貌の持ち主ですので
男性ファンもかなりの数いると思われます。

とか

インスタグラムにあげている私服姿が
スタイル抜群でモデル並みでカッコイイ。
素敵ですね。

とか、

男性にモテそうなことはでてきましたが、
肝心の彼氏の情報は出てきませんでした。

もちろん彼氏がいてもおかしくないと思いますが、
今はバレーボールに夢中というところでしょうか。

結婚に関しての考えとかも興味があったのですが、
情報はありませんでした。

結婚は、まだ先のことのようですね。



宮部藍梨はアメリカ留学していた?

宮部藍梨の高校1年生の春高バレーの大活躍が
強烈に印象に残っていて、

また、高校2年生で日本代表に選ばれことから、
当然、高校卒業後はVリーグに進んでいたものと
思っていました。

ところが、宮部藍梨は、そうはせずに
アメリカの大学へ留学していたのですね。

 当時大学進学を選んだ理由を、
宮部はこう明かす。

「もともと勉強が嫌いじゃなかった
というのもあります。
それに、やっぱり体って消耗品だから。

35歳ぐらいで現役をやられている方って
すごく少ないと思うし、

会社員のように定年までできる
仕事ではない。

怪我をするかもしれないし、
どんなに好きでもいつかは
選手を辞めないといけない時がくる。

そうなった時に、
自分からバレーを取ったら何もない、
という状態になるのは

理想的じゃないなと思ったんです。

保険じゃないですけど、勉強も大事だし、
4、5年ぐらいなら焦ることもないかなと。

人それぞれの考え方や選択があるので、
どれがいいとかどれが間違っている

ということはまったくない
と思うんですけど、

私の中では、高校からすぐにVリーグに行く
というのはもともと頭にありませんでした」

高校時代に腰のヘルニアに苦しんだ経験も、
「バレー1本じゃ無理や」と
考えるきっかけになったという。

私は、高校で目覚ましい活躍を見せた
女子選手の多くが卒業後はVリーグに進むのは、
当然のことと思っていました。

それは、女子バレーに限らず、スポーツ界全般的に
言えることだと思っていました。

なぜなら、スポーツ選手が活躍できる期間は
短いし、いつスポーツ選手としての
能力のピークが来るかわからない。

だからこそ、チャンスがあるなら
最短で最高峰の場所に挑戦して活躍したいと
誰もが考えていると思っていました。

しかし、最近では、
スポーツ選手として活躍できなかった未来や

現役引退後も見据えて進路を検討する人も
増えているようですね。

例えば、野球界なら
プロ野球のドラフト候補になっているのに
大学に進学するとか、

それこそ、岩手・花巻東高から
米スタンフォード大に進学した
佐々木麟太郎のように

アメリカの大学に行って、
野球も勉強も英語も頑張るという。

佐々木麟太郎のアメリカ留学の件は、
テレビやネットニュースで報道されていたので、
知っていましたが、

知らなかっただけで、
宮部藍梨のアメリカ留学も
考え方はほぼ同じですね。

宮部藍梨は、
高校卒業後に、まずは、
2年制のサウスアイダホ大学に進学しましたが、

アメリカを選んだ理由に
次のように答えていますね。

「自分が経験したことのなかった
環境に行きたかったんです。

その中で、ちゃんと勉強もしたいし、
バレーも高いレベルでやりたかった。

アメリカの大学スポーツには
ルールがあって、

勉強で決められた評定ラインを
クリアしないと、
試合に出られない。文武両道が求められる。

勉強も疎かにならず、バレーもできる
厳しいところに自分の身を置くためには、
アメリカが一番いいのかなと思いました。

『何を勉強したかわからへんけど
大学行った』っていうのは、
あんまり意味がないかなと思って」

英語は特別得意だったわけでなく
「普通の高3レベル」(宮部)。

サウスアイダホ大では、
英語を母国語としない生徒のための
英語授業を受けつつ、

一般学生と一緒に通常の授業も受講。

毎日ほとんど寝る暇もないほど
勉強しながら、バレーを続けた。

いやー、本当に自分自身の将来も含めて
よく考えて進路を決めたのですね。
凄いですね。

勉強も英語もしっかり頑張り、

バレーボールの方は、
2年時には2年制大学の全国大会で優勝し、
MVPを獲得してるんですね。

さらに凄いのは、
自分を売り込むためのプレー映像を作って
編入先を探し、

サウスアイダホ大卒業後は、
強豪のミネソタ大に編入してるんですね。

異国の地にかかわらず、行動力が凄いです。

もはや尊敬レベルですね。

そこでは、
アメリカ男子代表を2008年北京五輪金メダル、
同女子を2012年ロンドン五輪銀メダル

に導いた名将、ヒュー・マッカーチョンの
指導を受けています。

まさに運命的な出会いも
自らの手で掴んでいるのですね。

大学院にも進学して計3年間、
ヒュー・マッカーチョンの指導を受けて
バレーボール選手として成長していました。

ただ、ずっと順風満帆だった
わけではないようです。

ミネソタ大に編入後は、
控えに甘んじていました。

しかし、レギュラー選手の怪我によって
巡ってきたチャンスをものにし、

全米大学選手権では主力として
べスト8進出に貢献し、

自信をつけて、卒業後はプロ選手として
バレーを続けることを決めました。

また、5年間のアメリカ留学で
英語力もしっかりと向上しましたね。

2022年のネーションズカップで、
古賀紗理那選手が海外からの
インタビューを受けた際、

宮部藍梨選手が英語でしっかりと
通訳をしていました。

通訳できるレベルの英語力も身に着けて、
羨ましい限りです。

結果的に5年間のアメリカ留学は、
宮部藍梨選手の人生においては
大成功だと思います。

しかしながら、高校卒業後に、
アメリカの大学への進学を選んだ際、

反対する声も聞こえてきて、
悩んでいました。

こんなことを言っていました。

「いろいろ言われて
心が折れた時もありました。

でも結局、周りに何を言われても、
行動に移すのは自分。

人に『こうしなさい』って
言われてやったことって、
苦しい時に頑張れないじゃないですか。

アメリカでは、
楽じゃないことのほうが多かったですけど、
自分で決めたことだから最後まで頑張れた。

あの時、
『ここで行かへんかったら絶対に後悔する。

行って後悔したほうがましや』
と思ったので、行きました」

やっぱり、
他人が決めたことをやって後悔するより、

自分で決めたことをやって、
それで後悔することがあっても、
絶対自分で決めた方がいいということですね。

今回、宮部藍梨選手のアメリカ留学について
色々調べているうちに

人生についても考えさせられました。
本当に良かったです。



宮部藍梨の出身地は?

宮部藍梨の出身地を調べようと、
プロフィールを見てみました。

名前:宮部藍梨(みやべあいり)
生年月日:1998年7月29日
出身:兵庫県尼崎市
身長:181cm
体重:66kg
血液型:O型

インタビューでの受け答えなどで、
時々、関西弁が出ていたので納得です。

尼崎市立・金楽寺(きんらくじ)小学校に
通っていて、3年生の時に
バレーボールを始めました。

ただ、入った理由が、「人数が足りないから」と
バレーボールチームに誘われたからで、

自分がやりたいというわけではなかった
というのが、面白いし、運命的ですね。

中学校は、金蘭会中学校に進学し、
自らの意思でバレーに入りましたが、

金蘭会中学校が、
バレーの強豪校とは知らずに
入学そして入部しました。

これも運命的ですね。

練習についてくのもきつくて、
何度も心が折れたようですが、

辞めることなく、
実力的にもかなり成長しましたね。

中学3年生時には全国でも有名な選手
になりました。



宮部藍梨の出身高校は?

2014年宮部藍梨は、
そのまま金蘭会高等学校に進学します。

高校1年生の時からエースとして大活躍し、
春高バレーで金蘭会高等学校の初優勝に
貢献しています。

結果、1年生で
高校3冠(インターハイ・国体・春高バレー)
を達成しています。

前述したように、
私はその当時春高バレーを見ていて、

宮部藍梨の日本人離れした身体能力に
驚かされたことを鮮明に覚えています。

高校2年生の4月には、
高校生でただ一人日本代表に選ばれ、

デビュー戦でいきなり18得点を挙げ、
大暴れしましたね。

高校3年生の時の春高バレーも見てましたが、
残念ながら、ベスト4どまりでした。

1学年後輩には、
同じ日本代表の林琴奈選手もいて、
同じチームで活躍していましたね。



宮部藍梨の所属チームは?

宮部藍梨選手は、
2022年5月にミネソタ大学大学院を卒業し、
ヴィクトリーナ姫路に入団しました。

同年に6年ぶりに日本代表に復帰しました。

残念ながら、日本代表でのポジションは、

春高バレーで躍動していた、
アウトサイドヒッターではなく、
ミドルブロッカーです。

ミドルブロッカーでの出場のため、
レフトから豪快なスパイクを打つシーンは
なくなると思いますが、

センターでクイックやブロック。
時々、ライトに流れてのスパイクに
期待しましょう。

まだ、パリオリンピック出場は
決定しておりません。

パリオリンピックの出場を決める戦い
が近づいてきております。

2024年5月16日からのネーションズリーグ
での宮部藍梨選手の活躍に期待しましょう。

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