【全日本大学駅伝】
第7区は 篠原 倖太朗選手(地理4)です。
頼れる主将、そして駒大のエース!!
「行ってきます!」と力強いコメントをくれました!
順位は4位、1位と2分47秒差で襷リレーです!https://t.co/BRzba4fFSg#駒澤大学 #全日本大学駅伝 #駒大がんばれ pic.twitter.com/z6vvo7IdhF— 駒澤大学【公式】 (@komazawa_univer) November 3, 2024
篠原倖太朗(しのはら こうたろう)選手は、
駒澤大学陸上競技部所属の陸上競技選手です。
現在4年生で主将を務めています。
篠原選手は、
大学駅伝でみせる圧倒的強さは勿論、
ハーフマラソン1時間0分11秒と、
屋外5000m13分15秒70の
日本人学生記録を持つ、
大学陸上界のエース的存在です。
先日の第56回全日本大学駅伝で
篠原選手がみせた走りは圧巻でしたね。
各大学のエースがひしめく
7区を担当した篠原選手は、
5位でタスキを受け取ると、
青山学院の
太田蒼生(おおた あおい)選手や
国学院大学の
平林清澄(ひらばやし きよと)選手
の区間タイムを上回る49分57秒という
区間歴代3位の驚異的なタイムを
記録する激走をみせて区間賞を獲得。
駒澤大学を3位にまで押し上げました。
今年の出雲駅伝で敗北を喫した相手、
平林選手へのリベンジに燃えた篠原選手の
意地の走りに感動しました。
そういえば篠原選手の駒澤大学卒業後の
進路が富士通に決まりましたね。
大学卒業後は実業団ランナーとして、
駅伝やトラック競技の他、マラソンにも
力を入れると予想されています。
近い将来、国際大会で活躍する
篠原選手の姿を見れるかもしれませんね。
そんな、
将来を嘱望されている篠原選手ですが、
ランナーとしての才能のみならず、
スラっとした長身と端正な顔立ち
をお持ちですから、
プライベートでは
さぞモテるのではないでしょうか?
という事で今回は、
そんな篠原選手について、
現在彼女はいるか。ご両親や兄弟について。
出身中学や高校は。駒澤大学での活躍。
など、色々調べてみる事にしました。
篠原倖太朗は今彼女いるの?
色々調べてみましたが、
篠原選手の恋愛に関する情報は
全く見つかりませんでした。
2024年11月現在、
篠原選手とお付き合いをされて
いるお相手はいないと思います。
情報がでてきていないだけで、
実際は彼女がいる可能性もありますが、
陸上に全てを捧げているであろう
今の状況を想像すると、
現在は本当に彼女がいないとみて
間違いないと思います。
ここで、
篠原選手のネット検索にまつわる
エピソードを1つ紹介します。
これは少し前の話ですが、
ネット検索窓に”篠原倖太朗”と
入力すると、
「篠原倖太朗 結婚」
「篠原倖太朗 奥さん」
等のキーワードが表示される時期が
ありました。
これは、篠原選手の結婚や奥さん
について検索する人が多かった事
を意味していますが、
篠原選手にまだ彼女もいなかったと
される時期に何故、
結婚に関して検索する人が多かったのでしょうか。
その理由として考えられるのが、
以下に挙げる2人の人物と、
篠原選手を間違えて
検索してしまったというものです。
人物1.
近藤幸太郎(こんどう こうたろう)選手
当時、
青山学院陸上部所属の陸上競技選手でしたが、
近藤選手と付き合っている彼女が話題になり、
結婚するのではないかとの噂を耳にした人が、
篠原倖太朗選手と間違えて
検索したという可能性です。
人物2.
篠原幸太郎(しのはら こうたろう)さん
同姓同名で漢字1字違いの
モデル兼ミュージシャンです。
1982年生まれですから現在44歳ですね。
この方の結婚情報について気になった人が、
篠原倖太朗選手と間違えて
検索したという可能性です。
さすがにこれは間違えますよね。
個人的には、
「篠原幸太郎さんと間違えた」
というのオチの方が好きなんですが、
実際は、
「近藤幸太郎選手と間違えた」
可能性が高かったようですね。
因みに、篠原選手の推しは、
日向坂46の小坂菜緒(こさか なお)さんです。
篠原選手には、
女性ファンも多いでしょうから、
この先、
小坂菜緒さん似のかわいい彼女ができて、
そのまま結婚なんて事も
あるかもしれませんね。
篠原倖太朗の両親や兄弟はどんな人?
篠原選手のご両親について
調べてみましたが、情報が全く無く、
父親・母親ともに名前や年齢、
陸上経験の有無など、
一切分かりませんでした。
両親がどんな方かは不明ですが、
今の篠原選手の輝かしい活躍があるのは、
きっと、
篠原選手が小さな頃から好きな事に
取り組みやすい環境を整えたり、
栄養面や生活面等、ご両親の多大な
支えがあってこそですよね。
ご両親には、篠原選手をこんなに
立派に育ててくれて、感謝ですね。
篠原選手の兄弟についてもご両親同様、
情報が全くありませんでした。
篠原選手に、もし兄弟がいれば、
おそらく今頃は、
好記録を残すスポーツ選手として、
ネットに情報が挙がっているのではと考えると、
篠原選手が一人っ子である
可能性も高くなる気もしますが、
どうなんでしょうか。
篠原選手に兄弟がいるとしたら、
きっと小さい頃から兄弟で色んな遊びをしたり、
ともにトレーニングに励む事で、
足腰が鍛えられたとも考えられますね。
現時点ではベールに包まれている
篠原選手の家族情報ですが、
今後の篠原選手の更なる活躍とともに
徐々に明らかになってくるかも
しれないですね。
新情報が入る事に期待です。
篠原倖太朗の出身中学や高校はどこ?
篠原選手の出身中学校は、
山武市立山武(さんむ)中学校です。
小学校では柔道をしていた
篠原選手でしたが、
体が小さかった事や、
小学校のマラソン大会で優勝するくらい
走るのが得意だった為、
自分には陸上が向いていると思い、
地域のクラブチームで陸上を始めます。
篠原選手に言ってあげたいですね。
「その選択は大正解ですよ」と。
中学に入学した篠原選手は、
陸上部に入り、
本格的に長距離に取り組み始めます。
中学校時代の篠原選手の記録としては、
中学校陸上競技会で1500mに出場した際の、
4分24秒で7位という記録が残っています。
1500mの優勝ラインは3分台でしょうから、
中学時代はまだ、陸上選手としては
花開く前だった事が分かりますね。
篠原選手の出身高校は、
千葉県立富里(とみさと)高校です。
高校での篠原選手は、
名将北原慎也(きたはら しんや)監督の指導の下、
徐々にその才能を開花させ、
後に陸上競技選手として大成するための
礎を築く事になります。
篠原選手は、
中学校時代は9分50秒前後だった
3000mの記録を、
高校1年の6月の記録会では8分55秒と、
1分近く短縮しています。
3000mのタイムをこのわずかな期間で、
約1分縮めるって凄いですよね。
この時の事を、
北原監督は以下のように語っています。
「篠原君には当時から光るものを
感じていました。申し込みタイムを
9分25秒で持ってきたのですが、練習の様子から
8分55秒くらい出るなと思って
『8分55秒くらい出るから』と本人に言って申し込んだんです。
そしたら本当に
8分55秒が出ました(笑)」。
篠原選手は高校時代、
自宅から学校まで片道約20kmの距離を
毎日自転車で通っていました。
毎日ほぼフルマラソンの距離を、
自転車で通学していたんですね。
しかも日中は、かなりハードな
トレーニングをしていた訳ですから、
脚力はかなり鍛え上げられたでしょうね。
オーバートレーニングが少し心配です。
北原監督は、篠原選手を指導する上で
心掛けていた点について、
「篠原君には将来性を感じたので、
伸びしろを残せるように、
あえて練習量を抑えていた」
と語っています。
北原監督も、
篠原選手のオーバートレーニングを
心配していたのかもしれません。
その北原監督の心配が現実となったのか、
それ以外の要因によるものかは分かりませんが、
篠原選手の高校時代の後半は、
ケガに悩まされ、思うような
記録が残せない日々が続きます。
北原監督は、
その頃の篠原選手の様子を
以下のように語っています。
「2年生の8月に骨折し、
9月の半ばまで練習できませんでした。
急ピッチで仕上げて全国1500mに出場し、予選で3分50秒と好記録を出し、
決勝でも3位に入りました。」
篠原選手は、その翌週に行われた
千葉県高校駅伝にも出場し、
区間2位の好走をみせますが、
その後、またケガをしてしまいます。
北原監督は高校3年生の時の
篠原選手について以下のように
語っています。
「本当は5000mの記録を狙いたかった
のですが、ケガが長引き、年明けから
ようやく練習ができるようになりました。本人も5000mで記録を出したい気持ちは
ありましたが、ケガを完治させてから
練習をしないと大学に入ってから困るので、5000mの記録よりも、まずは故障なく
しっかりした練習のできる体で入学しよう
ということを篠原くんに相談しました。」
高校時代の5000mのベストタイムは
14分36秒11と、決して満足する結果
では終われなかった篠原選手ですが、
目先の結果より、将来を見据えて
しっかりと土台を築く事を優先しよう
という、
北原監督の、篠原選手に対する愛情が
伝わってきますね。
もし、この頃にさらに無理をして
体の故障が慢性化していたら、
篠原選手のその後の活躍は無かったかも
しれませんね。
北原監督、本当にありがとうございます。
篠原倖太朗の駒澤大学での活躍は?
高校卒業後、篠原選手は駒澤大学に進学し、
大八木弘明(おおやぎ ひろあき)総監督の下、
競技に励むことになります。
篠原選手は、
駒澤大学に進学した理由について、
「強豪である駒大で挑戦したいと
思ったから。大八木弘明総監督、藤田敦史コーチ
と地元が一緒だから」
と語っています。
篠原選手、1年目からかなりの活躍を
みせていましたね。
5000mで13分53秒92の自己新記録をマークし、
インカレでも5000mで2位と、
いきなり全国規模の大会で結果を残す
活躍をしています。
ただ、1年目の駅伝シーズンは、
ケガの影響により出雲駅伝のみの出場となり、
区間8位の記録に留まります。
1年目では、高校時代のケガの影響が
まだ残ってたんですね。
しかし、それも1年目まで。
2年目以降の篠原選手の活躍をみれば、
その才能が完全に開花した事が分かりますよね。
駅伝シーズンでは、出場した大会は
いずれも上位入賞の圧倒的強さをみせ、
2年目の香川国際ハーフマラソンでは、
日本人学生最高の1時間0分11秒を記録。
さらに今年9月の
「アスレチックチャレンジ2024」
男子5000mでは、
13分15秒70の驚異的タイムで、
屋外での日本人学生記録を樹立しています。
まさに今の篠原選手は無双状態ですね。
現在4年生の篠原選手は、主将に就任。
今年は個人の活躍のみならず、
駒澤大学の駅伝総合優勝に向け、
チームの牽引役としても活躍が期待されますね。
篠原選手は、駒澤大学卒業後は、
富士通陸上競技部の長距離ブロック
への加入が決まっています。
その後も拠点は駒澤大学に置き、
大八木総監督の下で指導を受けながら
「富士通の篠原」として
さらなる高みを目指す事になります。
篠原選手は、今年発足した
アスリートプロジェクト”Ggoat”の
メンバーとして、
トヨタ所属で駒澤大学の先輩の
田澤廉(たざわ れん)選手、
鈴木芽吹(すずき めぶき)選手達と共に
大八木監督の指導を受けているので、
大学卒業後はトヨタに入社すると
予想されていましたが、
なぜ富士通への道を選んだのでしょうか。
その理由については現時点では
明らかにされていません。
これは私の勝手な予想ですが、
おそらく篠原選手の実業団選手としての
今後のプランは、
5000m、10000m等の
トラック競技を極める事。
さらにその先にはマラソンランナーへの
道へと進む事も視野に入れていると思います。
富士通には、
トラック競技とマラソン競技の両方に
日本トップレベルの選手がいます。
トラック競技では、
10000m日本記録保持者の
塩尻和也(しおじり かずや)選手がいます。
マラソン競技では、
2時間04分56秒の日本記録保持者の
鈴木健吾(すずき けんご)選手がいます。
このように、
富士通在籍のトップランナーの顔ぶれ
をみても分かるように、
富士通には、今後の篠原選手にとって
必要な環境が整っているといえます。
上記のような背景から、
篠原選手は富士通入りを選択したのでは
ないかと予想します。
実際の理由については、今後明らかに
される事を待ちましょう。
大学陸上ラストイヤーとなった
今年度の篠原選手は、
9月の「アスレチックチャレンジ2024」では
男子5000mに出場。
13分15秒70のタイムをたたき出し、
屋外での日本人学生記録を樹立しています。
10月の第36回出雲駅伝では、
区間3位と悔しい結果に終わりましたが、
11月の第56回全日本大学駅伝では7区を走り、
見事に区間賞を獲得しています。
次はいよいよ勝負の箱根駅伝ですね。
篠原選手がどんな走りをみせるのか。
そして駒澤大学は、
三冠を狙う国学院や箱根連覇を狙う青山学院を抑え、
2年ぶり優勝校へと返り咲けるのか、
新年の箱根駅伝に大注目ですね。
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