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佐々木朗希のメジャーでの年棒はどうなる?過去の年棒推移は?プロフィール!

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野球
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佐々木朗希(ささき ろうき)投手は、
現在千葉ロッテマリーンズ所属の
プロ野球選手です。

昨オフ、
ポスティング制度を利用しての
メジャーリーグへの挑戦が決まり、

今後の去就が大注目されていますね。

最速165km/hのストレートと変化球を
武器に三振の山を築き、

”令和の怪物”
と称される佐々木朗希投手ですが、

23歳という年齢でのメジャー移籍になる為、
「25歳ルール」が適用されます。

契約金や年俸が制限されるほか、
移籍した選手はマイナーリーグからの
スタートとなる25歳ルール。

球界関係者やファンからの
「あと2年待つべき」
という声が大半を占める中、

佐々木朗希投手は、
あえてこのタイミングでのメジャーへの
挑戦を決断しました。

佐々木朗希投手のメジャー挑戦への
強い覚悟が伝わってきますね。

それにしても気になるのは、
25歳ルールが適用される佐々木朗希投手の
メジャー移籍後の年棒ですよね。

どこの球団と契約するのかも
気になるところです。

そこで今回は、
そんな佐々木朗希投手に関して、

・メジャー移籍後の年棒について
・過去の年棒の推移
・佐々木朗希投手のプロフィール

など色々調べてみました。





佐々木朗希のメジャーでの年棒はどうなる?

現在23歳の佐々木朗希投手は、
メジャー移籍するにあたり25歳ルールが
適用されます。

25歳ルールは、
メジャーリーグと選手会との労使協定に
示されているルールで、

移籍選手の契約金や年俸が
各球団の国際ボーナスプールの範囲内に
制限されるほか、

移籍した選手はマイナーリーグから
スタートしなければならないという
ルールです。

このルールにより佐々木朗希投手は、
契約金は最高でも
755万5500ドル(約11億5000万円)。
*1ドル150円計算

初年度の年俸は
最低保障の74万ドル(約1億1000万円)。

ロッテへの譲渡金は契約金の25%、
最大でも約189万ドル(約2億9000万円)
に留まるとみられています。

たしかにメジャー移籍時の金額としては
かなり低いですよね。

因みに、

昨年26歳でオリックスからドジャースに
移籍した山本由伸(やまもと よしのぶ)投手は
どうだったかというと、

12年総額3億2500万ドル(約485億円)。
初年度の年俸は
500万ドル(約7億5000万円)。

オリックスには5062万5000ドル(約76億円)
の譲渡金が入りました。

両者の金額を比べてみれば、
25歳ルールがいかに格安条件での移籍を
強いられるかが分かりますね。

佐々木朗希投手もあと2年日本でプレーし、
25歳になってからメジャーに挑戦すれば、

10年3億ドル(約450億円)以上の超大型契約
にも期待できただけに、

「あと2年待つべき」との声が大半を占める
のも当然ですよね。

もし私が同じ立場だったら、
あと2年間しっかり日本で実績を積み、

過酷なメジャーにも通用するフィジカルを
作り上げてからメジャーに挑戦するという
選択をとると思いますが、

来季からのメジャー挑戦を決めた
佐々木朗希投手と、

それを了承したロッテの判断を応援したい
ですね。

ところで、
メジャーでの移籍先はどこになるので
しょうか。

私は、
サンディエゴ・パドレスか
ニューヨーク・ヤンキーズ

と契約する可能性が高いと予想します。

パドレスには、
佐々木朗希投手が尊敬する
ダルビッシュ有(ゆう)投手がいます。

ダルビッシュ投手も佐々木朗希投手の
ポテンシャルを高く評価していますし、

佐々木朗希投手のパドレス入りを歓迎する
意思を表明しています。

佐々木朗希投手がパドレス入りし、
尊敬する大先輩のもと、

さらなる進化を遂げる姿をみてみたい
ですね。

そして、
もう一つの移籍先候補として予想する
ヤンキーズは、

佐々木朗希投手が幼い頃から憧れていた
田中将大(たなか まさひろ)投手が、
メジャーリーグ時代に所属していた球団です。

佐々木朗希投手が幼い頃から憧れていた
ヤンキースでプレーしたいという気持ちは、
今もかなり強いと思います。

因みにこれまで多くのメディアが
佐々木朗希投手の移籍先筆頭候補として

予想しているロサンゼルス・ドジャーズを
私の予想候補から外した理由は、

昨シーズン多くの負傷者に悩まされた
ドジャースが、

フィジカル面に課題を残している
佐々木朗希投手の獲得を回避するのではと
思ったからです。

いずれにしても本人が望み、
安心してプレーできる球団への移籍が
無事に決まるといいですね。



佐々木朗希の過去の年棒推移は?

佐々木朗希投手のこれまでの年棒の推移と
成績を以下にまとめました。

年齢(歳) 年棒(万円) 勝敗 投球回 奪三振 防御率(%)
2020 19 1600 登板無し
2021 20 1600 3勝2敗 63.1 68 2.27
2022 21 3000 9勝4敗 129.1 173 2.02
2023 22 8000 7勝4敗 91 135 1.78
2024 23 8000 10勝5敗 111 129 2.35

佐々木朗希投手の年棒は、
1年目の1600万円からスタートし、

プロ5年目の昨シーズンは8000万円と、
おおむね順調な年棒の推移と言えます。

佐々木朗希投手の魅力といえば、
インパクトのある圧巻の投球ですよね。

190cm超えの長身から繰り出される剛速球と
フォークボール、スライダーで三振の山を
築きます。

そして圧巻だったのは何といっても、
2022年4月10日のオリックス戦で

佐々木朗希投手が成し遂げた完全試合
ですよね。

完全試合は、
槙原寛己(まきはら ひろみ)投手以来、
28年ぶり史上16人目の快挙。

そしてこの試合で佐々木朗希投手は、

・世界記録となる13者連続奪三振。
・日本プロ野球タイ記録の1試合19奪三振。
・日本プロ野球史上最年少の完全試合達成者。

に輝いています。

この試合は、
佐々木朗希投手のポテンシャルの高さを
世界に証明した試合になりましたね。

佐々木朗希投手はこの他にも、
2023年のWBCに日本代表の投手として
参加し日本の優勝に貢献したり、

同2023年には日本人最速タイとなる
165km/hの球速をマークする等、
怪物ぶりをみせています。

投手としてのポテンシャルの高さに
関しては、

誰もが認める佐々木朗希投手ですが、

一方で、
決定的に足りていない要素として心配
されているのが、

フィジカル面の弱さですよね。

年棒推移表の投球回の数値をみても明らかな
ように、

佐々木朗希投手は、
これまで規定投球回数である143回をクリヤ
した事は一度も無く、

年間を通してローテーションを守れた事も
ありません。

その主な理由は、
ケガやコンディション不良によるものです。

これまでの主なケガを以下にまとめて
みました。

【佐々木朗希投手のケガの歴史】

・2022年7月 右手中指のマメ
→1ヵ月登板無し

・2023年5月 右手中指のマメ
→1ヵ月登板無し

・2023年7月 左内腹斜筋損傷
→2ヵ月登板無し

・2024年5月 上半身の疲労
→約1週間登板無し

・2024年6月 右上上肢のコンディション不良
→約2ヵ月登板無し

・2024年8月 左アキレス腱負傷
→16球で降板

たしかに多いですね。

これまで、
球団から過保護ともいわれるほど大事に
育てられてきた佐々木朗希投手。

彼が向かうメジャーでは、

・中4日とローテーションが過密。
・ボールが滑りやすい。
・マウンドが硬く足に負担がかかる。

こういったメジャーの環境から、
これまで日本から移籍した多くの投手が
ケガに悩まされています。

日本ではケガをする事無く活躍していた
歴戦の投手達でさえ、

メジャーではケガが絶えないという現実を
考えると、

フィジカル面で課題の多い佐々木朗希投手が、
メジャーで年間を通してケガ無くプレー
するのは、

現状では難しいと言わざるを得ません。

“ガラスのエース”佐々木朗希投手が
メジャーで結果を残す為には、

年間を通して戦えるだけの体作りが
最重要課題になると言えますね。



佐々木朗希のプロフィールをご紹介!

【佐々木朗希投手のプロフィール】

出身地:岩手県陸前高田市
出身中学:大船渡市立第一中学校
出身高校:大船渡高校
生年月日:2001年11月3日
身長・体重:192cm・92kg
投球・打席:右投げ右打ち
ポジション:投手
ドラフト:2019年 ドラフト1位

佐々木朗希投手は、
3人兄弟の次男として生まれます。

兄は3歳上の琉希(りゅうき)さん、
弟は4歳下の怜希(れいき)さんです。

「朗希」の名前は、
『百獣戦隊ガオレンジャー』の登場人物
「狼鬼」(ロウキ)からとったもので、

当時『ガオレンジャー』に熱中していた
3歳年上の兄琉希(りゅうき)さんの発案
によって命名されました。

いい名前を付けてもらってお兄さんに
感謝ですね。

幼少期はいたずら好きで、
外をずっと駆け回る活発な少年でした。

小学校3年生の時、
地元の野球スポーツ少年団に所属していた
兄琉希さんの影響を受け、

同じ少年団で野球を始めます。

佐々木朗希投手が野球を始めるきっかけを
作ったのも兄琉希さんだったんですね。

因みに、
兄琉希さんは高校時代まで野球部に所属し、

大学・大学院を卒業した後、
現在は広告代理店に勤めています。

弟の怜希さんは、
現在中央大学1年生。

兄朗希投手の背中を追って、
野球に明け暮れる日々を送っています。

兄琉希さんも弟怜希さんも長身のイケメン
です。

佐々木朗希投手は、
小学4年生の時に東日本大震災の津波で
父(当時37歳)と祖父母を亡くしています。

この津波で実家も流されてしまった
佐々木朗希投手一家は、
母の親戚がいる大船渡市に転居。

震災で親族3人と実家を奪われた
佐々木朗希投手ですが、
大船渡市に転居後も野球を続けます。

高校3年生の時に、
非公式ながら163km/hの球速をマーク
した佐々木朗希投手は、

”令和の怪物”と称され、
一躍注目を浴びる選手になります。

そして、
全国から大きな注目を受けて迎えた
高校3年生の夏の第101回県大会。

登板した4試合のうち3試合で完投し、
死闘を繰り広げてきた佐々木朗希投手に対し、

大船渡高校の
國保陽平(こくぼ ようへい)監督は、

翌決勝戦では、
「故障予防のため」という理由で
佐々木朗希投手の出場回避を決断。

結果、
チームは敗れ、
甲子園大会への出場を逃しています。

県大会の4回の登板で佐々木朗希投手が
投げた総投球数は435球。
防御率は0.62でした。

大船渡高校には佐々木朗希投手の出場回避に
対する苦情の電話が殺到。

野球関係者や評論家の間でも議論となり、
ちょっとした社会問題にもなりました。

この時の事は私も昨日の事のように覚えて
いますが、

甲子園出場がかかった決勝戦。
しかも相手は強豪花巻東高校。

佐々木朗希投手不在で勝てる相手でない事は
分かっていたはずですが、

國保監督は、
佐々木朗希投手の未来を見据え、
悩みぬいた末の決断だったと思います。

でも、
もしこの決勝戦で佐々木朗希投手が
投げていたら、

「違う結果が待っていたのでは」と思うと、
複雑な心境になりますよね。

迎えた同年10月のドラフト会議では
4球団が佐々木朗希投手を1位指名。

抽選の結果、
ロッテが佐々木朗希投手の交渉権を獲得し、

11月30日の入団交渉にて、
契約金1億円プラス出来高5000万円、
年俸1600万円(金額は推定)で契約合意。

佐々木朗希投手の千葉ロッテマリーンズ入り
が決まります。

因みに佐々木朗希投手の背番号17には、
将来170 km/hを投げてほしいという想いが
込められています。

千葉ロッテマリーンズでの主な経歴について
簡単にまとめてみました。

【千葉ロッテマリーンズでの経歴】

2020年:ロッテ入団
2021年:5月の西武戦でプロ初登板
2021年:5月の阪神戦でプロ初勝利

2022年:史上最年少で完全試合達成
2023年:WBC日本代表
2024年:10勝5敗

プロ通算成績:29勝15敗、防御率2.10

そしてロッテ入団から5年が経過した今年、
佐々木朗希投手は今まさに、

幼い頃からの
「メジャーリーグでプレーしたい」
という夢の実現に向け、

海を渡ろうとしています。

25歳を待たずしてのメジャー移籍に対し
反対意見や不安視する声も多い中、

来季からのメジャー挑戦を決断した
”令和の怪物”佐々木朗希投手。

憧れの舞台であるメジャーリーグでも是非、
強打者達を相手に三振の山を築き、

最多奪三振や新人王といった
タイトルの獲得。

そしていつの日か、
夢の170km/hの球速を記録し、
世界中を驚かせてもらいたいですね。

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