吉川尚輝(よしかわ なおき)選手は、
読売ジャイアンツ所属のプロ野球選手です。
現在、入団8年目の29歳です。
吉川尚輝選手、電撃結婚しましたね!
びっくりしました。
シンガー・ソングライターの足立佳奈さん(25歳)で、
同じ岐阜県出身なんですね。
詳細は、分かりませんが、
足立佳奈さんは、祖父の影響で、
物心ついた時から、巨人ファンでした。
兄の背中を追って、
自身も小学3年から6年まで野球をプレーし、
中学時代はソフトボールをやっていました。
どうやって、知り合ったんでしょうね。
おめでとうございます。
吉川選手の持ち味は何といっても、
俊足を活かした広い守備範囲と
安定感のある守備です。
50mは5.7秒という驚異のスピードです。
陸上選手にもなれたかもしれませんね。
華麗なプレーで観客を魅了し、
試合の流れを変える力を持っています。
吉川選手は2016年のドラフトで
外れ外れ1位指名を受け、
2017年に読売ジャイアンツに入団しました。
同年5月14日に一軍デビューを果たしています。
外れ外れからの1位指名した巨人は、
思わぬ当たりくじを引きましたよね。
何かラッキーな感じもします。
吉川選手は大学時代から高い評価を受けており、
2016年6月の大学選手権では、バックネット裏に
スカウト陣が大挙して押し寄せたほどでした。
特に守備の素晴らしさが高評価されていました。
ある対戦校の監督は、こう語っています。
「まるで吸い寄せられるように、
いいところで吉川くんのところに
打球が飛ぶ。ウチは彼を目立たせるために
攻撃しているようでした。吉川くんはそういう
星の下にいる選手なのでしょうね」
このころから、
守備のセンスがすばらしいことがわかりますね。
2024年に
ベストナイン賞とゴールデングラブ賞を
ダブル受賞したのも納得です。
今では球団の中心選手としてさらなる
期待が高まっています。
2024年のプレミア12日本代表にも
選出されましたが、けがで辞退したので、
次こそはぜひとも思います。
今回は、そんな吉川選手の結婚や恋愛事情、
ご両親はどんな人か、兄弟はいるか、
中学・高校はどこだったのかなど、
色々調べてみました。
吉川尚輝は結婚している?
吉川選手の結婚は、
プロ野球ファンの間で注目されている
トピックの一つです。
吉川選手の結婚に関しては、
過去にいくつかの噂がありました。
特に、従兄弟の結婚式に出席するために
タキシードを試着していたときは、
極秘結婚説が浮上していましたね。
結局はデマでしたが。
黄金期を迎えている吉川選手の結婚は、
単なる個人的な出来事ではなく、
スポーツ界の大きな関心事となっています。
吉川選手の誠実な人柄は、
将来の良きパートナーとしての
資質を十分に感じさせますよね。
きっと「結婚したい」という女性は
星の数ほどいると思います。
野球関係者の間では、
「結婚は選手のキャリアにとって
ポジティブな転機になる」
という意見も多く聞かれます。
安定した私生活は、選手のメンタル面にも
大きく影響するからです。
過去には、松坂大輔選手や二岡智宏選手も、
結婚で大きく成績が好転しましたよね。
吉川選手の場合、これまでケガや
調子の波に悩まされてきましたが、
結婚によって精神的な安定を得られそうですよね。
吉川選手が描く結婚像は、
おそらく野球への情熱を理解し、
サポートしてくれるパートナーとの関係です。
29歳という年齢は、
プロ野球選手にとって黄金期であり、
同時に人生の転換点でもあります。
吉川選手の結婚は、
私生活の変化だけでなく、キャリアにおける
新たな挑戦の始まりになりそうですね。
正直なところ、
結婚はいつになるかわかりません。
今現在は、全ての時間を
野球に捧げているように見えます。
しかし、遠くない未来に
訪れるのではないかとも思っています。
彼の誠実さ、野球への献身、
そして魅力的な外見を考えれば、理想的な
パートナーと出会う可能性は十分にあります。
ファンとしては、
吉川選手の人生の次のステージを
心から応援したいですよね。
結婚が吉川選手のキャリアにとって
追い風となり、さらなる飛躍の
きっかけになることを期待しましょう。
吉川尚輝の彼女は?あの熱愛報道は?
結婚していないとなると、
次に気になるのが、吉川選手の
恋愛事情についてですよね。
過去に元乃木坂46の西野七瀬さんとの
熱愛が噂されました。
みなさんも「本当?!」とネットで
あれこれ調べたのではないでしょうか。
しかし、西野さんは現在、
俳優の山田裕貴さんと結婚しているため、
この噂も否定されています。
過去のインタビューでも
「彼女はいない」と明言しており、
ファンの間では意外に思われたかもしれません。
SNSでは、吉川選手について
「イケメン」や「魅力的」とのコメントが
多く見られ、女性ファンも多いです。
出会いの場はいくらでもありそうですね。
しかし、恋愛関連の噂は出ても、
信憑性の低いものばかりです。
やはり今は野球一筋なのでしょうか。
ちなみに、
吉川選手が好きな女性のタイプについては、
「ロングヘアー」の女性が好みです。
特に前髪を掻き上げる仕草が好きということで、
女性らしい仕草に惹かれます。
29歳という年齢もあり、将来的には
家庭を持ちたいと考えていると思います。
身の回りの世話や食事管理など、
きっちりやってくれる年上がよさそうですね。
きっと、みんなあの甘いマスクにメロメロです。
個人的に、吉川選手は真面目で控え目な
性格の印象です。なので、芸能人よりも
一般女性とさらっと結婚なんてことも…
と思っています。
みなさんも予想してみてくださいね。
吉川尚輝の実家の両親はどんな人?
吉川選手の実家の両親は、
スポーツに深い関わりを持つ
素晴らしい方々です。
吉川選手の父親は吉川好(よしかわ このむ)さん
と言います。野球への情熱が人一倍強い方です。
高校時代には市立岐阜商業高校で
野球をしていました。
甲子園出場も果たしています。
当時の野球環境について、
好さんはこう振り返っています。
「監督や先輩との上下関係が厳しくて、
今では考えられませんが、
殴る蹴るは当たり前の時代。最初は同級生が50人ほど入部しましたが、
最後は17人になっていました。」
この言葉からは、
当時の厳しい野球環境が伺えますよね。
そんな中で甲子園出場を果たした
好さんの精神力は、息子にもちゃんと
受け継がれていますね。
好さんは自身の走力についても語っています。
「尚輝は足が速いといわれますが、
私も足には自信がありまして、50メートルは5秒台。
打球が三遊間へ飛べば
内野安打になっていました」
この驚異的な走力は、まさに
吉川選手に引き継がれていると言えます。
高校卒業後、
好さんは社会人野球の東邦ガスに入社し、
11年間現役生活を続けました。
現在も営業職に就きながら、
岐阜南ボーイズで監督を務め、
中学生の指導にあたっています。
その指導方針には、野球を通じた
人間形成への深い洞察が感じられます。
特に大事にしているのは
礼儀と勉強という好さん。
野球だけではなく、勝つことよりも
大事なことをしっかり教えているところが
すてきですね。
野球を通じて子どもたちの成長を支援する、
好さんの姿勢がなんともすばらしいです。
ちなみに、岐阜南ボーイズのホームぺージには、
吉川選手の活躍がちゃんと載せられています。
我が子の成長もちゃんと見ていますね。
吉川尚輝選手の
素晴らしい人間性と野球選手としての才能は、
こうした父親の影響が大きいように思います。
次に母親です。
母親は吉川陽子(よしかわ ようこ)さん
と言います。
なんと陽子さんも
スポーツ選手として輝かしい経歴の持ち主でした。
高校卒業後に
東邦ガス女子バレーボール部に所属し、
全国大会に出場してます。
全国に出るくらいなので、
相当な実力の持ち主だったことを
物語っています。
ちなみに、
好さんとは職場結婚だったそうですよ。
陽子さんは現在もママさんバレーを
続けているそうで、スポーツへの愛情が
深い方なんだろうなと想像できます。
このような
スポーツエリートの両親から生まれた吉川選手。
両親の遺伝子を受け継いだだけでなく、
幼少期からスポーツに親しむ環境で育ったことが、
高い運動能力の礎となりましたね。
そんなすばらしい遺伝子と
能力をもった吉川選手でも、
野球を辞めようとしたこともありました。
しかし、母親が甲子園を見せて、
野球への思いをつなぎとめました。
今の吉川選手があるのも陽子さんのおかげです。
彼の活躍の裏には、常に両親の存在があります。
こんなすてきな両親のもとで
育った吉川選手だから、
今の地位を築けたようにも思います。
吉川尚輝に兄弟はいるの?
吉川選手には2人の兄がいます。
調べてみましたが、
名前は公表されていません。
吉川選手の兄たちは、彼の野球人生に
大きな影響を与えた存在です。
7歳年上の兄と4歳年上の兄は、
まさに吉川選手の野球への道を切り開いた
重要な人物と言っても過言ではありません。
特に印象的なのは、兄たちが自宅の庭に
本格的な野球場を作ったことです。
打席までの距離を18.4メートルに設定し、
マウンドにまで土を盛るなど、子供心に
野球に真剣に取り組む環境を作り上げました。
親がそこまでやるのはありますが、
子どもたちでそこまで追究するって
すごすぎますね。
しかもちゃんとマウンドを高くするなんて…
僕が親なら拍手をおくります。
また、実家が田んぼの真ん中にあった
という環境も、彼の野球人生に
大きな影響を与えました。
稲刈り後の広大な土地で走る練習ができ、
イレギュラーなボールさばきを
身につけられたことは、
吉川選手の守備の巧みさにつながっていますね。
田んぼが練習場で
18.4mの距離をとれる庭ということですが、
本当に広大です。
実際にノックする場所の写真を見ましたが、
見渡す限り田んぼです。
そして、こんな場所でノックしたら、
ボールが顔面に飛んできて、怪我をするのでは
と思いました。
でも、吉川選手は
そういうところでも飛びついて
捕っていました。
まさにその身体能力は
「田んぼのおかげ」ですね。
好さんのご実家は
「吉川養鶏場 COCCOPURIO」を営んでいます。
なので、土地が広いのも何となく納得できます。
小さいころから
そんな環境が整っていた吉川選手は、
本当に幸せ者であるように思います。
吉川尚輝の中学、高校、大学はどこ?
吉川選手の出身中学は、
岐阜県羽島市の羽島市立桑原中学校です。
中学時代は意外にも卓球部所属です。
そして、父が監督を務める
羽島フジクラブ(現在の岐阜南ボーイズ)で
硬式野球を始めました。
ただ、硬式野球をやっていたことを踏まえると、
部活はあえて卓球部を選んだように思います。
右打ちだったのですが、好さんが左打ちに
変えるように伝えると…
まさに才能の塊ですね。
今考えるとよかったように思います。
のようにも思いますが、中学3年生の時に
野球をやめようとしたことがありました。
「尚輝が中学3年の時、
野球をやめようとしたことがあるんです。チームは弱いし、勉強、勉強と言われて
窮屈さを感じていたんだと思います。この時は高校野球の夏の予選を見せに行って
何とか踏みとどまったんですが、今度は『中京高校に行きたい』
と言い出しました(苦笑い)。寮生活だし、同じ岐阜でも遠いんです。ただ、『誰も知らない環境で野球をやりたい]って。末っ子で口数も多い方ではなくて、
何を考えているのか分かりかねている
ところがあったんですが、初めて自分の意見を言ったので、
よく覚えています」
そして自分の道を模索していた様子が伺えます。
決断力を育んだのだと思います。
吉川選手の決断通り、
中京高等学校に進学しました。
ここで彼は野球部に所属し、1年生の夏から
三塁手としてレギュラーに定着しました。
その後、秋からは遊撃手に転向し、
チームの中心選手として活躍しました。
2年の夏には、4試合に出場し、16打数7安打、
3打点をマークし、打率は4割を超える、
「0.438」という成績を残しました。
プロでも3割以上をキープできたら
一流と呼ばれます。高校時代とは言え、
その才能は計り知れませんね。
3年の夏は、当時の甲子園出場校である
「県岐阜商」に5対6で惜敗し、ベスト4でした。
つまり、父親である好さんの母校です。
なんとも運命的な感じもします。
これにより、残念ながら中京時代は、
甲子園経験はありませんでした。
甲子園出場という夢は叶いませんでしたが、
この悔しさが次のステージで…
と思ったら、大学進学で一波乱ありました。
18歳の吉川選手は、高校の監督の意向で
亜細亜大学への進学が決まりました。
しかし、高校卒業直前の2か月前に、
日本一厳しいと言われる亜細亜大学の
野球部の練習に参加してみると…
その厳しさに圧倒されてしまいました。
わずか1ヶ月も経たないうちに、
吉川選手は心身ともに
打ちのめされてしまいました。
一体、どんな環境なんだろうと
思いますよね。
吉川選手は野球をやめようとまで
思い詰め、半ば逃げるように
沖縄を発つ飛行機を予約したのです。
そして母親に、
「飛行機のお金がないから、振り込んで」
と電話をかけたのです。
この行動は、絶望的な心境を如実に
表しています。
しかし、この逃亡が
吉川選手の人生を大きく変えました。
故郷の岐阜に戻り、周囲の励ましを受けて
中京学院大学に進学。
のびのびとした環境の中で才能を開花させ、
大学4年時にはドラフト1位の有力候補にまで
成長したのです。
なんだかこれだけでもドラマの脚本が
書けそうですね。
この出来事は必ず、
吉川選手の心に深く刻まれていますね。
一度は野球から逃げましたが、
再度、野球に対する真摯な姿勢を取り戻した
吉川選手。
きっと、いろんな意味で
多くの若い選手たちの模範となるでしょう。
これからも、そんな吉川選手を
注目してい見ていきたいと思います。
コメント