関田誠大は結婚してる?嫁や子供は?両親や兄弟は?中学・高校?大学や所属チームなど経歴!

関田誠大(せきたまさひろ)は、
日本代表に選ばれているバレーボール選手です。

私が彼のプレーを初めて見たのは、
2023年ワールドカップバレーでした。

この大会は、男子バレーボール日本代表が
パリオリンピック出場を決める
大事な大会だったので、
毎日手に汗を握りながら応援していました。

どうしても素人目に見ると、
髙橋藍や西田有志そして石川祐希といった
攻撃的なアタッカーの活躍ばかりに
目が行ってしまいます。

しかし、しばらく試合を見続けていると、
次第に彼らアタッカーを巧みに操っているのが、
セッターの関田選手であることが分かりました。

それからは、司令塔である彼の動きから
目が離せなくなったのを覚えています。

そして、何よりも1番感動したのが、
スロベニアに勝利を収め、
パリオリンピック出場を決めた後、

関田選手は、、2023年3月に31歳で亡くなった
藤井直伸さんの背番号「3」のユニホームを
身に着け、場内インタビューに登場。

瞳を潤ませながら、
インタビューに答えていました。

藤井直伸さんの件は、この試合の前に
テレビの特集で知っていたので、

私も瞳を潤ませながら、見ていました。

いやー、今思い出してもジーンときますね。

そんな関田選手のことをもっと色々と
知りたいと思い、調べてみることにしました。

関田誠大は結婚してる?嫁や子供は?

そもそも関田選手は結婚しているの?
素朴な疑問がわいたので調べてみました。

2022年1月3日に、ご自身のinstagramで
昨年結婚した事を発表していました。

ということは、2021年なので
結構最近なんですね。

当然、結婚相手のことが気になりましたが、
奥様がどんな人なのか?
情報はありませんでした。

残念ですね。

関田選手は、試合に出場する際は、
必ずネックレスに結婚指輪を通して
身につけているとのことです。

ルーティンとして指輪に触れていて、
力をもらいたい時に指輪をぎゅと握るそうです。

なんかいいですね。

また、今年2024年1月1日に、
再びご自身のinstagramにて
お子様の誕生を発表しています。

残念ながら、
性別など詳細は公表されていませんが、
将来が楽しみですね。

関田誠大の両親や兄弟は?

関田選手の両親に関しても、
詳細な情報は得られませんでした。

唯一あったのが、
父親が、元日本代表キャプテンの
柳田将洋選手の父親と
知り合いであるということですね。

関田選手と柳田将洋選手も
子供の頃から知り合いで、
高校も1年先輩の柳田選手から誘われて
同じ高校に進学しているので、

おそらくですが、
家族ぐるみの付き合いをしていた
と思われます。

父親もバレーボール経験者だったのでしょうか。

兄弟は、お姉さんがいるようですね。

お姉さんの影響で
バレーボールを始めたようなので、
お姉さんもバレーボールをやっていたようですが、
それ以外の情報はありませんでした。

家族に関しても、情報非公開なのですね。

関田誠大の中学や高校は?

関田選手は、前述のようにお姉さんの影響で
バレーボールを始めています。

小学校1年生の時、東金町ビーバーズに入団し、
6年生の時には、エースでキャプテンとして
東京都小学生選手権で優勝しています。

関田選手は、小学生時代のことを

練習はとにかく厳しくて、
バレーの技術はスキルアップしても、
全然楽しくなかったと話しています。

これが本当のことなら、楽しくないのに
6年間もやっていたことになります。

ある意味、凄いですね。

私は、小学校4年生から3年間
野球をやっていましたが、
練習も試合もとっても楽しかったです。

楽しいから、私は続けられましたが、

楽しくなくても続けられた関田選手は、
凄いというか。これも才能ですかね。

小学校での頑張りがあって、
中学校は強豪の駿台学園に進学します。

中学2年生ではリベロを務めたようですが、
3年生から正セッターになって
キャプテンも務めました。

チームは全日本中学校選手権で初優勝し、
優秀選手に選ばれました。

また、JOCカップで東京選抜のキャプテンを務め
優勝し、ベストセッター賞を受賞しました。

関田選手は、
中学の時に実力がメキメキと向上し、
全国区の活躍をして、
セッターとしても確立したのですね。

高校は、柳田選手から誘われて
東洋高校に進学しました。

高校では1年生の時から、
レギュラーのセッターとして活躍しています。

春高バレーでは、
2年生エースの柳田選手とともに
東洋高校の初優勝に貢献しました。

個人では、インプレッシブプレイヤー賞と
ベストルーキー賞を受賞しました。

高校時代は、ユース日本代表にも選ばれ、
アジアユース選手権に出場しています。

着実に成長していますね。

しかし、3年生の時には、
キャプテンになりましたが、
結果を出すことができず、
悔しい思いもしています。

関田選手は、高校時代に
様々な経験をすることができたのですね。

関田誠大の大学や所属チームなど経歴!

関田選手は、
高校卒業後はすぐにVリーグ入りはせず、
中央大学に進学しています。

中央大学では、1年生の時から、
セッターでスタメン出場しています。

そして、大学3年生の時に、
高校での柳田選手のように
素晴らしい出会いがありました。

そうです。
日本代表の絶対的エース選石川祐希手が、

中央大学バレーボール部に入部してきたのです。

石川選手は、
どんなトスでも上げれば決めてくれるという、
チームにとってもセッターの関田選手にとっても
心強い存在になったことは間違いありませんが、

それだけでなく、
セッターとして新たな引き出しを増やす
分岐点になったと、

次のように話しています。

「特に自分が最上級生になってから、
石川がいる、ということ、
その存在がデカいからこそ、

周りをどう使うかというのを
ものすごく考えるようになりました。

もちろん彼(石川)にもいい時、
悪い時がありますけど、
相手にとってはその存在が
間違いなく脅威になる。

生かすために、どうやって攻撃を展開するか
という意識が強くなったし、

周りをどう動かして、
どう生かすかと考えて実践するのが、
ものすごく楽しかったです」

中でもカギになったのが
ミドルからの速攻だった。

今でこそ、セッターとして両サイドへの
丁寧なトスももちろんではあるが、
いかなる時にもミドルを使えることが
関田の武器であるのは言うまでもない。

だがその種をまき、芽吹き、
花が咲き始めたのは紛れもなく、中大の頃。

「石川本人からも
『もっとクイックを使っていきましょう』
と言われていたし、
僕自身も相手のマークを見ながら
『ここを使おう』と考えるようになった。

ひとりのエースを生かすために
どう持っていくか。
トス回し、組み立てというのを
真剣に考え出したのはこの頃だし、

それは(今にもつながる)
財産だったと思います」

関田選手は、中央大学時代に
日本代表の絶対的エースである石川祐希選手と
2年間一緒にプレーすることで、

大学での全てのタイトルを総なめにし、
日本一になることだけでなく、

その後、自身がVリーグや日本代表の
正セッターを務めるための
大きな財産を手に入れたのですね。

こうやって改めて見てみると、
関田選手の選択した中学・高校・大学は、
大成功でしたね。

大学卒業後は、2016年に
Vリーグのパナソニック・パンサーズに
入団しました。

そこには日本代表の正セッターである
深津英臣選手がいて、
彼のもとでプレーしたい。彼を抜かしたい。
という思いで入団したようですね。

ただ、なかなか深津選手を抜くことはできず、
さらなる出場機会を求めて2018年9月に退団し、

堺ブレイザーズに移籍しました。

高校・大学と1年目から正セッターになり、
日本一を経験してきた関田選手でも、
日本代表の正セッターは、
高い壁だったのですね。

しかし、移籍した影響かどうかは分かりませんが、

2019年のワールドカップでは
多くの試合でスタメン出場し、
日本代表の司令塔として活躍できましたね。

そして、2021年に開催された
東京オリンピックにも出場して、
チームのベスト8入りに貢献しました。

やはり、移籍したことは吉と出たようですね。

オリンピック後に、さらなる成長を求めて、
堺ブレイザーズを退団し、8月25日に
ポーランド1部リーグの
クプルム・ルビンに移籍しました。

1年間だけでしたが、
世界最高峰のリーグでいろいろと感じて学び、
成長したようですね。

この時期に結婚もしています。

2022年6月からは、
ジェイテクトSTINGSに入団しています。

関田選手は、今回のネーションズリーグでも
正セッターとして試合に出ていますが、

何といっても、パリオリンピックで
正セッターとして日本代表のメダル獲得に
貢献してもらいたいですね。

応援しましょう。

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