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鈴木誠也の嫁(妻)はどんな人?両親は?兄弟はいるの?中学・高校時代までを徹底解説!

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野球
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鈴木誠也(すずき せいや)選手は、
メジャーリーグのシカゴ・カブスで活躍中の
外野手です。現在の年齢は30歳です。

2012年度プロ野球ドラフト会議で、
広島東洋カープが内野手として2巡目で
指名したことでプロ生活がスタートしました。

そこからめきめきと力をつけ、2年連続
ゴールデングラブ賞とベストナイン賞を受賞。

その他にも5年連続で打率3割以上、
25本塁打以上を達成するなど、
頭角を現してきました。

そして、広島東洋カープで培った技術を武器に
2022年にメジャーデビューを果たしました。

当時は、日本人野手として
史上最高額となる5年総額
8500万ドルの大型契約を結びました。

なんと日本円に換算すると、
約127億円5000万円となります。
*1ドル150円計算

野球を知らない人でも、この金額を見ただけで
ものすごい選手だということがわかりますよね。

その実力は海を越えても健在で、
2024年シーズンには打率.283、
21本塁打、73打点を記録。
日本人選手の2年連続20本塁打は
松井秀喜、 大谷翔平に次ぐ3人目となります。
ちなみに、右打者では初の快挙です。
また、2年連続でナ・リーグの
外野手部門でのシルバースラッガー賞
最終候補5選手にも選ばれています。
すばらしいですよね。でも、鈴木誠也選手は
自身の成績を「ゴミ」と表現しています。
メジャーで生き残るためには、かなりの
成績が必要ということですね。それに加え、
向上心が強いのだと思います。
そんな鈴木誠也選手ですが、
プライベートでは2019年に結婚を
しています。
一体とんな方と結婚したのか、また
どんな両親のもとで育ったのか、兄弟は、
いるのか、中学、高校時代はどうだったのか。
本記事では鈴木誠也選手のプライベートを
徹底解説していきます。



鈴木誠也の嫁(妻)は元オリンピアン:運命の出会いと結婚秘話

鈴木誠也選手の奥さんは
畠山愛理(はたけやま あいり)さんと言います。

1994年8月16日生まれで、
現在の年齢は30歳です。

鈴木誠也選手が1994年8月18日生まれなので、
わずか2日しか年齢が違いません。
これだけでも運命的な出会いですよね。

畠山愛理と聞けば、ピンと来る人もたくさん
いると思いますが、愛理さんは元新体操選手で、
元オリンピアンです。

フェアリージャパンと聞けば、
誰もがわかると思います。

愛理さんは2大会連続でオリンピックに出場し、
ロンドンで7位入賞、リオデジャネイロで
8位入賞を果たしています。

また、2015年世界新体操選手権では、
団体リボン種目で40年ぶりの銅メダルを
獲得しました。

特筆すべきは、愛理さんがフェアリージャパンの
主将を務めたことです。しかも、当時19歳です。

きっとものすごく責任感が強く、
努力家ですよね。そんな19歳がいるのかと
思ってしまうぐらいです。

愛理さんの活躍は、スポーツ界だけに
とどまりません。

2015年にはミス日本コンテストで
和田静郎特別顕彰ミス日本を受賞、

2017年には第46回ベストドレッサー賞
(スポーツ部門)を受賞するなど、
その美しさと才能は多方面で認められています。

まさに才色兼備とは、愛理さんのためにある
言葉ですよね。すばらしいの一言です。

そんな愛理さんは、きっと鈴木誠也選手の目にも
魅力的に映ったことでしょう。

二人の出会いは2018年頃で、
共通の知人を介して知り合いました。

鈴木誠也選手は畠山さんとの出会いについて、
こう語っています。

「嫁、妻、女房?!(ハズッ笑)とは、
嵐がもたらした偶然で出会い」、

その際に「ビビッ?ピピッ?
びびっと?ドキッと?」
と感じたそうで、

その後「どうしても
試合を見てもらいたくなりすぐ招待」
と、自分からアプローチをしたという。

まさに一目惚れですね。やはり鈴木誠也選手は
野球でも恋愛でも攻撃型の選手なんですね。
この積極性が魅力の一つなのかもしれません。

まああれだけ美人なら、誰でも一目惚れ
してしまうかもしれません。

2019年8月17日に婚姻届を提出し、
同年12月3日にハワイで挙式しました。

結婚の報告は12月7日に行われました。
鈴木誠也選手は結婚について
「まだまだ子供のような
大人の2人ですが、互いの夢、
目標に向かい毎日笑顔で
仲良く楽しい家庭を築く所存です」
とコメントしており、
二人の絆の深さが伺えます。
この言葉からは、お互いを尊重し合い、
支え合う関係性が感じられますね。
2022年9月に第1子となる男児が誕生し、
2024年6月には第2子となる男児の誕生も
報告されています。
まさに幸せの絶頂期ですよね。

きっと子育ても二人三脚で
頑張っていると思います。

鈴木誠也選手と畠山愛理さんの結婚は、
トップアスリート同士の出会いから始まり、

互いの夢を応援し合いながら
家族愛を紡いでいく素晴らしい
形となっています。

二人の絆は、それぞれの競技経験、
目標への理解があることで、
より強いものになっていますね。

これからも鈴木一家の幸せな様子に
注目していきましょう。



鈴木誠也選手の両親はどんな人?:リアル巨人の星

鈴木誠也選手の成功の裏には、
両親の厳しくも温かい支えがありました。

父親の名前は
鈴木宗人(すずき むねと)さんと言います。

東京都荒川区町屋で
喫茶店「マチヤ」を経営していました。
なんだか昭和の雰囲気が漂う名前ですね。

残念ながら現在は閉店しています。

宗人さんは鈴木誠也選手の野球の才能を
早くから見出し、スパルタ教育で
厳しく指導しました。

喫茶店の隣の食品庫を練習場に改造したり、
橋の下にネットを設置して何百球もの
トスバッティング練習をさせたりしました。

また、都電町屋駅から喫茶マチヤまでの
約200mを都電と競争させるなど、
ユニークな練習方法も取り入れていました。

「勉強するなら、走ってこい!」
「おまえは野球で食べていくんだ」

かなりの熱血野球指導者ですね。
というか、息子への期待がかなり
大きいですね。

このような厳しい指導から、
宗人さんは「リアル巨人の星」
と呼ばれることもありました。

しかも、東京都荒川区町屋は「巨人の星」で
星一徹・飛雄馬親子が住んでいた町です。
まさに平成の巨人の星ですね。

そんな厳しい練習環境でしたが、
練習の合間に宗人さんが作ってくれる
生姜焼きが毎日の励みになっていたとか。

厳しさの中にも愛情が感じられますね。
鈴木誠也選手の長打力の秘密は、
宗人さんあってこそのものかもしれません。

続いて母親です。
母親は鈴木貴美江(きみえ)さんと言います。

貴美江さんは、幼少期の鈴木誠也選手について
「本当に手がかかる子でした」と
笑いながら語っています。

お菓子を買いに行くと、床に手足を
ばたばたさせて、駄々をこねていました。
なんだかかわいらしいような気もしますが…。

厳しい野球の指導を受けていた反動か、
母親に対して甘えることもありました。

父親の厳しさに耐えられたのも、
貴美江さんの優しさがあったから
かもしれませんね。

両親の愛情と厳しさが、今の鈴木誠也選手を
作り上げたと言えるでしょう。

鈴木誠也選手も、両親から受けた愛情と教育を
我が子にも受け継いでいきそうですね。

もしかしたら、いつか「令和の巨人の星」
なんて言われる日がくるかもしれません。



鈴木誠也に兄弟は何人?:妹とのエピソード

鈴木誠也選手には、4歳年下の妹、
彩絵(さえ)さんがいます。

男兄弟がいそうなイメージですが、
鈴木誠也選手と彩絵さんの二人兄妹です。

彩絵さんは一般人のため、
詳細な情報は公開されていません。

しかし、以前家族で鈴木誠也選手の試合を
観戦に来た様子が映し出されました。

とても明るい印象で、笑顔がすてきな
方でした。宗人さんと貴美江さんにはさまれ、
テレビに映る姿から、家族の絆も感じました。

そんな彩絵さんとの関係は良好で、
母親の誕生日に2人で相談して
ハンドバッグをプレゼントしています。

とてもすてきな兄妹関係ですよね。
母親思いなのが伝わってきます。



鈴木誠也選手の中学時代:野球の才能が開花した瞬間

鈴木誠也選手は東京都荒川区出身で、
荒川区立第九中学校に通っていました。

この学校は、日本アカデミー賞受賞作
「学校」シリーズのモデルになった
有名な中学校です。

さらに、人気モデルの
古畑星夏(ふるはた せいか)さんの母校
でもあり、かなり注目される中学校です。

芸能人やスポーツ選手の母校って、
なんだか憧れますよね。

鈴木誠也選手の中学時代は、野球の才能が
非常に高く評価されていましたが、
同時にヤンチャな一面もありました。

見た目からすると、なんとなく
そんな姿も想像できますよね。

中学時代、鈴木選手は
地元の強豪「荒川シニア」に所属していました。

その実力は群を抜いており、
「荒川に鈴木誠也あり」
という噂が立つほどでした。

中学生にして地域の有名人となっていたのです。
この頃から「メジャーリーガーになりたい」
と話しています。

やっぱり、父親の教育が染みついているような
気がしますね。「野球で食べていくんだ」という
気持ちが伝わってきます。

驚くべきことに、鈴木誠也選手は約40校もの
高校からスカウトを受けていました。

これを聞くだけで、どれだけの野球の才能の
持ち主かわかりますね。今メジャーで活躍
しているにも納得できます。

しかし、ここで意外な事実があります。
鈴木誠也選手はレギュラーでありながら、
2桁の背番号を付けていたのです。

通常、エースは1番を付けることが多いため、
野球に詳しい人なら驚くでしょう。

実は、鈴木誠也選手は
野球の才能は抜群でしたが、
学業成績があまり良くなかったのです。

そのせいで、最後までエースナンバーを
付けられなかったのです。

他チームの指導者たちも
「なぜあの子が2桁番号なのか」と
不思議がっていました。

鈴木誠也選手の実力を知っていたからこそ、
疑問に思う人も多かったんですね。

この話を聞くと、
もし野球で食べていけなかったら、
何をしていたのか少し気になりますね。



鈴木誠也選手の高校時代:プロへの道を切り拓く

鈴木誠也選手は二松学舎大学付属高校
(にしょうがくしゃだいがくふぞくこうこう)
に通っていました。

実は鈴木誠也選手が二松学舎大付属高校を
選んだ背景には、幼少期からの縁がありました。

荒川リトルに所属していた鈴木誠也選手は、
この高校のグラウンドを訪れ、
ピッチングフォームを披露しています。

実は、父親と市原勝人監督が中学時代からの
友人だったのです。

そして、市原監督は鈴木誠也選手の
非凡な才能を一目で見抜きました。

そして「高校生になったらウチに来いよ」と
声をかけたことが、
進学のきっかけとなりました。

この言葉を忘れず、数多くのスカウトを断り
二松学舎大付属を選んだ鈴木誠也選手。
その決断力と一貫した姿勢には感服しますね。

鈴木誠也選手は高校1年生の夏から
レギュラーを掴み、チームを牽引しました。

高校通算43本塁打を記録し、最速148キロの
速球を誇るエースとしても活躍。その実力は
まさに「超高校級」と呼ぶにふさわしいですね。

特に代打で登場した際、市原監督から
「ホームランを打ってこい」と指示され、

その通り140m弾を放ったという
エピソードは圧巻です。

プロでも110m~120mの間が平均なので、
140mを高校生で打つ鈴木誠也選手は、
ずば抜けた打撃力です。

普通なら、これだけでおごりや緩みが
でてきそうですよね。でも、そこを
市原監督はきちんと説きます。

「お前がどのぐらい遠くに飛ばせるか?
どのぐらい速いボールを投げれるのか?

そんな能力はスカウトの方は
みんな知っているよ。

そんなことより、野球に対する
姿勢を見ているんじゃないかな。

いつも全力で走る、
チャンスの時に気持ちをブラさず
本来のバッティングができる。

きっと、そういった姿勢を
見ているんだ。だから
しっかりやって行こうじゃないか」

この教えがあり、さらにそれを素直に
受け入れたからこそ、鈴木誠也選手は、
常にひたむきに頑張れました。

なんだか師弟愛を感じますよね。

豪快なプレーだけではなく、
野球に対する真摯な姿勢が
成功につながったのだと思います。

鈴木誠也選手の高校時代は、
その才能だけでなく、人間性や努力によって
プロへの道を切り拓いた期間でした。

この経験が現在の活躍につながっていることは
間違いありません。

これからもそんな鈴木誠也選手を
応援し続けましょう。

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